ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■「GID特例法案」について(うえぇ〜長文だぁ)
それが、国会にその存在を認知され、やれ「変態」だ「犯罪」だという扱いではなく、
「保護の対象」となりうる、という一定の認識を得ようとしているのだ。
そのことをすっ飛ばして「素直に支持できない」はないんじゃないのー?>自分
わたしは、内輪もめとかには関わりたくないと思っていたし、
それなのにわたしが入っていくことでやたらと攻撃されたりするのに辟易して
あまりGIDコミュニティに深く関わるのは止めておこうと思ってきた。
「このコミュニティでもわたしはのけ者、典型ではないんだ」と考えて。
(ごく一部、本当にお友達になれると思った人はもちろん別だけど;
だから、GID当事者やもっと広くT's、TG、あるいはセクシュアルマイノリティの知り合いはわたしにとっては貴重なのだ)
それなのに、わたし自身が内輪もめの元をつくるようなことを言い出してどうするんだ。
今朝の自分の問いかけに、わたしは今、自ら答えようと思う。
わたしは、今はまだ「(惜しくも)特例から漏れる」のかもしれない。
でも、それでわたしが他の特例条件に適う人たちから分離されてしまうわけではない、と信じようと思う。
きっと、当事者を分散させ、たとえば政治的に無力化させようというような動きは、
「何が性同一性障害だ。所詮変態のオ○マじゃないか」と今でもまだ頑なに思い込んでいる、
20世紀までの限定的な認識しかできない人たちからこそあるだろう。
当事者がその尻馬に乗るどころか、自分から恰好のえさを撒くような真似をしてどうする。
もしもわたしの子どもがそれでいじめにあうような事態に至ったら、そのときこそ
「その差別には根拠がない」
とはっきり言えるように、わたし自身が頭を高く上げていなくてはならない。
短期的には「法律で認められる人、認められない人」というような差別はもしかしたら先鋭化してしまうかもしれない。
でも、あくまでそれが「途中のこと」であるということを、わたしたちははっきり言わなければいけない。
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わたしは、自分ではなく、子どもの世代のことを思う。
わたしたち自身の世代では、まだまだ自分自身が「この世にそんなこと(性転換)があったのか」とびっくりしているような状態だから、それを否定するためのさまざまなことを自らしてしまった当事者は多いと思う。
けれども、たとえば性教育の中で、さまざまなセクシュアルマイノリティのことを広く教えることで、その当事者である子も非当事者と同じように安心して性についての自己決定ができるようになれば、あんがい「結婚して子どもまでもうけてしまった」という当事者は減っていくだろうと思う。
決して、一部の自信のない古い世代の人たちが言うように「寝た子を起こす」ようなことになりはしないと思う。
それでも、その頃には、細かく分節化するのではなく、包括的に「そういう生き方もあり」とおおらかに受け入れられるよう、「多くの人々」の認識……「常識」が、新しく、そうして豊かなものになっているのではないだろうか。
その「多くの人々」というのが、わたしたちの子どもたちやその先の世代の人々のことだ。
もしかしたら、わたしの子の世代ではまだまだ無理かもしれない。
なぜなら、たとえばわたしの子自身が問題を未消化のままで抱えてしまっているかもしれないから。
(とても悲しいことだけど)
でも、孫の世代になれば、広く中立的にセクシュアルマイノリティについての教育ができる教師が増えているだろう。
そこでは、多様な性を広く受け止めることのできる豊かな教育が行われるようになるだろう。
それは決して、旧約聖書の時代に語られた「ソドム・ゴモラ」ではない。
むしろ、自他の「性の尊厳」を共に認め合えるという意味で、とても節度のある社会が実現するのではないか。
たとえば相手の「性の尊厳」をちゃんと認める態度がとれるなら、「レイプ」なんてできるはずがないのだ。
それは他のあらゆる性犯罪や性差別についても言えることだと思う。
もう一度繰り返したい。
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05月20日(火)
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