ID:51752
原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■第4回GID研究会 執行一実さん 金八先生
 自分の肉体の性に違和感を覚える性同一性障害者は、女性では約10万人に1人と推定されているが、男性の場合、約3万人に1人とされ、女性より多い。日本初の性転換手術は98年10月、埼玉医大で当時30代の女性に行われた。その後、岡山大でも実施。性転換手術は後戻りできない手術のため、日本精神神経学会の治療ガイドラインは、精神療法、ホルモン療法と段階を踏んだ後に手術を行うよう規定している。
 戸籍の性別が変更できないため、就職や結婚など生活に支障をきたしており、住民票や俣険証などの提示が必要な場合は、外見と性別表記が合わないため、性同一性障害であるという事実を告白せざるを得ないのが実情だ。最近、性転換手術経験者が戸籍の訂正を求めて家裁への申し立てを行った。
 米国の多くの州やドイツ、イタリアなどでは、性別表記の訂正を認める特別法を制定。フランスやスペインなどは法律では決められていないが、裁判所が判決で、出生証書の性別表記の訂正を認めている。
---------------------------------以上転載
改めて、執行一実さんの勇気ある、賢い行動を称えたいと思う。
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★3・泣いたり、ふざけたり。
とある掲示板への書き込みです。
本当は、基本的に「クローズド」の掲示板とかに書き込んだものをこちらに転載するのは
もうあんまりしないほうがいいんだ、と思っているんですけれど、
自分で「ジサクジエン」とか言ってるけど、……言い訳かもしれないけど……
ええいっ、うるさいっ!!>自分
わかってもらえたら…… 見苦しいかもしれないけれど。
---------------------------------
>>1 (……じゃなくて、左のリンクから「セレニティ・プレア」に飛べます;自作です、いちおう……)

バイト、またコケてしまいました。

なんだか、昨年の1月と同じようにしたい、と誰かが言ってるみたいで、困りました。
1月9日から11日までは、母のそばで寝ていなくてはいけないんです。
母の死の直前の、3泊4日です。
(中略(-_-;)
母は1日ごとに弱っていくのがよくわかりました。
8日にはまだ、目を開けていたと思います。眠っているときが多かったけど。
9日には、目をつぶっているときが多くなった。
声をかけると目を開けた。
10日には、私か弟が声かけないと目を開けなくなった。
夜中、ときどき呼吸が止まりかけてはまた再生する、というのが始まった。
なぜか、遠雷が聞こえた。それは決して怖くなかった。
11日、ほとんど目を開けなくなった。
呼吸が途切れる回数が増えた。
12日の午後、家族や親戚が見守る中、母は静かに息を引き取った。
こときれるとき、最期に長々とため息のように息を吐いて死んだ。

一周忌が間際なのに、こんなに弱ってていいんか、自分?
(中略(-_-;)
母は確かに、私のことを本当に見ていたかどうか疑わしいところのある人でした。
もしかしたら、私をお人形の代わりにしていた、そういうタイプだったのかもしれない。
けれど、(実はお互いに)ぼろぼろになりながらも、
なんとかして私のこと(GID)を認めようとしながら、
そうすることで、私がせめて祖父と同じように自ら死んでしまったりしないように、
苦しみながら、でも、私を受け入れてくれた人だった。
私は母のお人形をやっていたと思うけれど、
それでも私は母のことを憎んだり恨んだり、できないのです。

私は、性的侵入の加害者だったことがあります。
こんなに苦しい思いをしているから、許してほしい、と思います。
なぜあんなことをしてしまったのでしょう。
なぜあんなに小さな頃から、あんなに多くの子どもたちに、
今思えば性的侵入としか思えないようなことを、したのでしょう。
正直なところ、自覚もなく「いたずら」や「いじわる」をした自分が
なんだかかわいそうで仕方なくなってきてしまいました。
でも、被害の記憶に怯える人たちが、私を許せるのでしょうか。
「わかったから、せめてそばに近寄らないでほしい」と
言われるのではないでしょうか。


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01月10日(木)
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