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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■映画『Harry Potter』 / 記念日 / 観劇(5……?)
「だったら自分、やってみな?」
と言われるだろう。
ちょっとずつお稽古してくうちに、私もこういう減らず口が叩けなくなるだろう。
・パンフレットに「作者の一言」というのがあり、その冒頭に
「最近若い人のことが分からなくなった。」
とあった。
これは後から聞いてわかったことだけれど、「作者」、つまりたぶん「台本の作者」という意味だと思うけど、
その人は40代ぐらいの人のようで、その一方で役者さんたちは20代ぐらいが中心になっているらしい。
台本は、70年代の学生運動に捧げるオマージュ、というような雰囲気もあって、
たとえば私なんかは「ああ、懐かしい♪」と思ってしまうところもあるのだけれど、
それが「今の若い人たち」にとってどのように受け止められているか、……
ううーん、私にも自信がないなあ……
そうだ! 一度、この作者さんと、お話ができたらいいな♪
(って、いきなりアンタ(-_-; なんにもわかっちゃいないくせに、図々しすぎるんじゃない?>自分)
・作者や役者さんの「立場性」と台本の拠って立つ「世代」についての姿勢と、
内容についてのことが、不可分だけれどいったんは区別して整理しないと、
理解が難しいと感じるところもある。
(今ここで未消化のままぐたぐた書き連ねてしまうのは、
知らないうちに人を傷つけてしまいそうなので止めておきます)
・内容について。
法廷のシーンなので法律そのものの持つ解釈論とか保護法益の問題とかに突っ込んでいくのかな、
と思っていたけれど、どちらかというと
主体論とか主観的な感情の問題に重点がおかれていたような気がする。
私の中では二つの思いがせめぎあっていた。
一つは「殺人か自殺か、ということについて法的に結論を出す必要があるはず」ということ。
だって、法的な結論、って決して専門家のお遊びじゃないもん。うまくいえないけど。
もう一つは「法律論を全てすっ飛ばして主観ではあれ『裁くこと』と『守ること』を衝くのは、
なんだかある面気持ちいいな♪ スカッとするぜ!」ということ。
正直、ある登場人物を必然性が不十分なままで美化している、とか
法廷=「裁く」=「冷酷」と決め付けてしまっている、とか
不満に感じる部分はある。
私に言わせれば、法廷は「裁く」場ではなく「守る」場だ。
全ての裁判官がその姿勢を貫徹できているとは思えないけれど、
だからこそ弁護人がいたりするわけだし、
原告であれ被告であれ、どちらも法廷では自らが拠って立つ「守るべき法益」があるはずだ。
あ、違う。
私も言い方を間違えてしまうくらい勘違いしやすいことだけれど、
「守るべき法益」の「法益」って、原告なり被告なりが自らの必然性で存在すること、
行為したこと、あるいは告訴したこと、そのもののことだ。
でも、若さゆえの感情論とはいえ、「理屈じゃなくて」という一途な正義感のようなもの、
それは「70年代」だろうと「2000年代」だろうと共通するものなのかもしれない。
私にとってはお芝居そのものから見て余剰だと思ってしまったけれど、
役者さんたちがそれぞれの「見せ場」で、感極まって涙してしまっているのを見ていて、
「感情」の強さのようなもの、感じさせてもらうことができたと思う。
願わくば、感性が表現につながれば。
と、私は感じてしまったのだった。
さてさて。
なんだか、けっきょくエラそうなことを書いてしまった。
で、最近薄々感づいてきたけれど、↑このフレーズを書くとき、私は確かにちょっと
「それはないんでないかい?」
という内容のことを書いてしまっている、と思う。
ただ、幸い、このお芝居を観た翌日ぐらいに、どうにか次の段階に当たることを、
私は気がつくことができた。
はっきり言って、私があんまり入れ込めずに傍観的な見方をしてしまったのは、
「好み」の問題なのだ。
私は全体的に批判的な書き方をしてしまったけれど、感情の発露のしかたとか、
たとえば「あのくらいでいいんだ!」という人もいるだろう。

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12月09日(日)
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