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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■(無題)
わたしは、自分がそういう類型に当てはまりそうだ、ということを恐れてきたし、それで「生きていけなくなる」「社会からつまはじきにされる」ということを恐れてきました。
でも、まるでつるつるの壁に爪を立てるかのように、わたしの努力は空しいものとなってしまいました。
具体的には、一生勤め上げようとした会社も首になり、守っていこうとした家族からも見放され、いっときはこの世にわたしの居場所はない、とまで思いつめるほどでした。
でも、わたしは自分の居場所がこの世にあることを信じます。
それは、信仰に基づくもの、と言ってもいいし、そうでなくてごく人間的な意味でも、この世の誰にも「おまえの居場所はこの世にはない」とわたしに向かって言う権利はないからです。
わたしは、ふつうに「就職」してどこかの会社とかそれ以外の組織とかで働いて、ふつうに「給料」をもらうことができません。
でも、わたしにできるだけのことをして、社会に少しでも役に立つことをして、生きていこうと思います。
いずれは、役に立った分だけのお金を、社会に要求できるようになりたいとも思っています。
(なんて言うとまるで不当に巻き上げるヤクザみたいだけどそういう意味じゃなくて、わたしから利益を受けた人からその分の対価をいただく、というだけのことで、その意味では「ふつうに働く」のと同じことです)
ただ、その道すじが、いわゆる「ふつうの人」たちとは違うだけ。
わたしは、「違う」自分をもう決して否定したくはありません。
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最後に、愚痴を一発。
「働いてないくせに偉そうなことを言うな」と言う人は、いったいどういうつもりなんだろう。
女性の発言とは思えない。
それじゃまるで男の発想じゃないか。
専業主婦はどうよ?
「家事労働は労働として賃金換算できる」なんて言ったって、それを評価するのは夫だし、「自分で稼いでない」といえばそういうことにもなってしまうじゃないか。
わたしだって、経済的にお世話になっている弟に対して、(かなり不十分ではあるけれど)「主婦」に近いことをして貢献してるわよ。
わたしが音楽・演劇・作家活動を通して生きていこうとする、その気持ちは浮ついたものじゃない。
以前は他の何かからの「逃げ」だと思い込まされて、自分の決意を確かなものにできなかったけれど、今は違う。
わたしはもう、それ以外の生き方ができないのだ。
「仮の姿」が自分の生活のほとんど全てになってしまうような「偽の生き方」は、「偽の男」を止めてから、もう決してできなくなってしまった。
なぜなら、それはわたしにとって、「過去の過ちに逆戻りする生き方」でしかないからだ。
共依存的な人に自分の境界線を越えて侵入するようなことを言われて、正直とても不愉快だった。
05月16日(金)
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