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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■甘えてる? 泉鏡花
だって、そういう選択をしたのは、私自身だから。
今は、この選択を、誰のせいにもできないし、
したくもありません。
もちろん、行きがかりはいろいろあって、
だから人のせいにして楽にしたほうがいい、ということもあるけれど、
それでは問題解決しないので。

*1:「自分がどういう性別の人間か」ということを認識すること。
ふつうは「体のかたちや機能」で決まっているもののようだけど、
「脳のかたちや機能」「身体の外見的特徴」とか「生育歴」「周囲からの扱い」など
さまざまな理由で、一般的に多くの人が「当たり前だ」と思っているのとは
異なった認識になることがあるのです。 (→元の場所へ戻る)

*2:「性別再判定手術(Sex Reassignment Surgery)」の略語です。
私は自分にとってどうしても必要な部分の手術は済ませています。(→元の場所へ戻る)

*3:「性(別)」にはいくつかの視点から角度を変えて見ないと
わかりにくくなってしまうことがあります。
1.「体の性」
2.「心の性(=これが*1性自認)」
3.「見かけの性別」
4.「本人が役割として感じる性別」
5.「性愛の対象」
これらは一定のパターンをとっていることが多いですけれど、人によっては「ずれ」があることもあります。
このうち、3.と4.をまとめて「ジェンダー(性役割)」として扱うことがあります。
「ジェンダー(gender)」という言葉は流行っていますけれど、元々は言語学の用語で、
フランス語やドイツ語では、全ての名詞にどういうわけか必ず
「男性」「女性」(または「中性」)という区別がつけられていることをgenderと呼ぶのが始まりです。
はっきり言って「そんなものに性別つけてどうすんの?」と思うようなものも、
「全て」二つか三つに分類されているのです。
(「太陽」と「月」がドイツ語とフランス語で男女さかさまになっている、とか(^^;)
ここから、遺伝子とか生殖とか、生物学的にどうしても決まっていること以外の「女らしさ」「男らしさ」を
まとめて「ジェンダー」と呼んでいます。 (→元の場所へ戻る)

ちょっと皮肉をこめて付け加えておくと、
たぶん「いつでもどこでも誰にでもゼッタイあてはめられるジェンダー」といのは、
この世に存在しないのだろうと思います。
私自身も含めて、本当は自分に当てはめる必要のないようなことがらまで自分に当てはめようとして
苦しみもがいている人は、この世にたくさんいると思います。
典型的なのは「男らしくしろ!」とか「女の子がみっともない!」とか言う人たちです。
それらの人たちは、まずご自分の「男らしさ」「女らしさ」の呪縛から自由になることを目指したらいいのに、と強く感じます。
だって、たいていはそういうことを言う人の表情は、痛々しいもん。
本人がそのことで苦しくて仕方ないのが、見えるもん。
(私も、そうでした。だからこそ、私は「男であろう」とするあまり、掃除も炊事もほとんどできない人間になってしまいました。
今の若い人たちの多くは、「男だから料理ができなくていい(できちゃいけない)」なんていう考えが
どんなにばかばかしいか、言われなくても分かっていると思いますけれど、
私が小さい頃に受けたしつけは、そういうものだったのです。
今それを取り返すのは、若い時に身につけるのよりもずっと大変です)
願わくば、できるだけ多くの人が、できるだけ楽にそういうことと向き合うことができて、
争いとか苦しみとか悲しみとかが少しでも減ってくれれば、と願っています。

あれ、後半は「皮肉」なんかじゃないや。まじです。

なんか、「補足」だったはずなのに、こんなにぐちぐち書いてしまいました。
こういうことをやると「気が済む」のは、私が男をやっていた頃に
「テストステロン(男性ホルモン)」の猛威で攻撃衝動が起きると、それを押さえつけるのによく使った手口です。
ごちゃごちゃと理屈をこねるのに脳神経を使うと、テストステロンの体内濃度が下がるのでしょうか。
(なんか、ばかばかしいけど調べてみようかな?)

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02月18日(月)
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