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原案帳#20(since 1973-)
by 会津里花
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■第4回GID研究会 執行一実さん 金八先生
「驚きましたよ」。長友サチさん(82)=東京都世田谷区=は、長男斎さん(55)=同新宿区=に、パートナーの執行一実さん(45)を紹介された3年前を思い出す。ノド仏があった。声も低い。女の勘がただの友達でないことも知らせた。強い抵抗感を感じた。
斎さんに誘われ、仕方なく3人で食事や買い物に出掛けるようになった。「普通の女性との結婚を望んでいた」サチさんだったが、執行さんの優しさや思いやりに触れ、次第に人柄に好意をもち始めた。「男と女でも不幸な夫婦は多いし、本人たちが幸せならそれでいい。息子にはもったいないお嫁さんと思います」と、今は2人の「結婚」を受け止める。
性同一性に障害
執行さんは「性同一性障害」。幼いころから、好きな男性のそばにいると胸がドキドキした。女性とも付き合ったが、性交渉に嫌悪感を覚えた。それでも「みんなと違う自分」を悟られないよう、必死に「男」を演じた。ゲイかもしれないと思い、ゲイ・バーに行ったこともあったが、違和感が付きまとった。
早稲田の大学院を出て30歳で大手予備校の河合塾に就職した。
「仕事に熱中することで、だれにも言えない心の闇を無理やり封印していた」
自分が性同一性障害と知ったのは40歳の時だった。医療行為として国内初の性同一性障害者の性転換手術が報じられ、本当の自分を悟った。「闇の向こうに明かりが見えた」と感じた。何か行動を起こさなければと、まず、ヤミ治療で女性ホルモンの注射を始めた。一気にではなく徐々に女性になろうと思ったからだ。胸は膨らみ、体はふっくら丸くなった。化粧をし、女性の服装で教壇に立った。
差別には勝算
ただドン・キホーテになるつもりはなく、「勝算」はあった。勤め先が教育機関ということと、上司たちも大学紛争を経験した世代で、ともに人権や差別には敏感だと思った。さらに講師として「どこでも食っていける」と自信があった。
カミングアウト(公表)して直面するであろう偏見にも、「去るなら去れ」と開き直った。不安よりも、中途半端で生きる精神的なダメージの方が、限界に近かったからだ。
「女でしか生きられない自分を認めて」。化粧を始めてから約1年半、精神科医の診断書をもらい、上司に説明した。
交際も隠さず
斎さんと出会ったのはそんな時。「女装の友人」として付き合い始めた斎さんも、やがて「女性らしい」優しさと賢さにひかれていった。ただ「女性」と認めるまでは時間がかかったという。
斎さんが男性を愛したのは初めてだったが、今は「姿形でなく心根にほれた。一生のパートナーです」と言う。執行さんに「将来結婚するためにも、だれにでもきちんと説明できる生き方をしよう」と、正規の治療を勧めた。友人にも積極的に紹介した。
「私との交際を隠さない彼の思いに、正々堂々生きることで応えたい」。執行さんは現在、正規の治療を受け、来年2月にも性転換手術を行う。
2人の夢は結婚だが、国内法では性同一性障害による戸籍訂正を認めた例はなく、今のままでは結婚できない。結婚や戸籍など「制度」がすべてでないとも思う。それでも、執行さんはあえて戸籍上の結婚にこだわる。
「普通の男女は結婚する、しないの二つの選択肢があるが、私たちにはその選択肢すらない」と訴える。
執行さんは手術後、戸籍の性別が変わったら、戸籍の本名を一実に改名すると決めている。その時、心の闇から本当に解放されると信じている。
■□■
現行の法制度では結婚できないが、それでも執行さんは恵まれていると思った。斎さんはもちろん、その親せきも障害を認めてくれている。上司も理解してくれたし、実の母親も受け入れてくれた。しかし国内に数千人いるとみられている性同一性障書者の大半は、差別や偏見を恐れ、公表をためらって暮らす。生活は不便だろうし、抱える精神的苦痛は想像もつかない。制度だけでなく、彼らの生き方をきちんと受け入れる時期だと思う。
ファイル
●性同一性障害
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01月10日(木)
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