ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■山上徹也とテロルの決算


 1960年10月12日、山口二矢(「おとや」と読む)は、日比谷公会堂で演説中の社会党委員長、浅沼稻次郎を襲撃して脇差しのような短剣で刺して殺害した。浅沼殺害時に、山口二矢がポケットに入れていた斬奸状の文面は以下の通りである。

汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。ここに於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢。

赤尾敏に傾倒し、熱心な愛国少年だった山口二矢は、当時の左翼の指導的な立場の人へのテロを計画し、そして実行したのである。当時山口はまだ17歳だった。少年法の規定により名前が伏せられたが、すぐに事件が重大であると言うことで公表された。

やまぐちおとや
やまがみてつや

二人の名前のうち3文字も重なってるところに不思議な因縁をオレは感じるのである。逮捕された後山口は「後悔はしていないが償いはする」と口にして裁判を待たず、東京少年鑑別所内で「天皇陛下万才、七生報国」との遺書を残して縊死した。

 山口二矢の悲劇は、真の売国者が実はCIAの工作員であり、かつ文鮮明に協力して国際勝共連合の創設に尽力した岸信介のような連中であり、むしろ浅沼稻次郎は民衆のために戦った人であることがわかっていなかったということである。もしも浅沼が生きていれば、日本の政治は大きく変わっていたことは間違いない。浅沼以後の社会党の委員長には凡庸な人物しかいなかった。土井たか子や村山富市などはレベルが低すぎて話にならない。

 岸信介が大きな役割を果たした「国際勝共連合」は、政治家にも多くの信奉者を生み出し、一方で統一教会は原理研究会というサークルを通して大学生に浸透していった。学生たちの中に多くの被害者を出し、霊感商法で高額なツボを売り、裁判でも訴えられた反社会的組織である統一教会は、オウム真理教と違って巧妙に政治家に食い込み、官僚機構やメディアの中に入り込んでその支配を確実なものにした。信者から巻き上げたゼニは年間で1000億とも言われる。この犯罪収益は本部のある韓国に送金されたり、政治家への献金としてばらまかれているのだが、そのゼニの流れを追うことは困難である。カルト教団の常として、幹部はそのゼニをしっかりとフトコロに入れていて、搾取されてるのは末端の信者だけだからである。

 父の死後、母が統一教会に入信したことで家計が破綻し、教団に深い恨みを持った山上徹也は奈良県有数の進学校である郡山高校に在籍しながらも大学進学できず、専門学校に進学後自衛隊に入隊する。自衛隊に入れば家族からも離れることができるし衣食住も与えられる。山上徹也の母は2002年頃に破産したということだが、その頃に彼が海上自衛隊に入ったというのは、破産によって住むところも失ったからなのかも知れない。

 自分たち一家の幸福を破壊し、親を破産させた統一教会に対して深い恨みを持った山上徹也は、その幹部に対してのテロを実行しようと計画した。強い意志とそして知識がその計画に現実性を与えた。教団幹部へのテロが困難であることを知ったとき、彼がそのターゲットを広告塔としての役割を果たしていた大物政治家に変更したことは、テロというものが「影響力のある大物ほど効果がある」わけだから彼の中では整合性がとれていたはずである。


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07月12日(火)
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