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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■集中豪雨被害は誰のせいなのか?
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居座った梅雨前線のために各地で集中豪雨が発生している。山口県、福岡県などでは死者や行方不明者が大勢出ている。そうした災害の映像をテレビでみながらオレは思うのだが、これはいったい誰の責任なのかと。
予想を超えるような大雨が降った場合、崖が崩れたり川が氾濫するのはある意味自然のことであり、そのために日本中の川の堤防を強化したり山の中に砂防ダムを造りまくったりするのは不合理だ。災害が起きそうな時にはきちっと住民に通報してすぐに避難できるようにして、災害復興のための資金を援助するというのが合理的解決であるとオレは思うのである。
濁流の中をクルマで走ろうとして立ち往生している映像を見て、どうしてあの水の中に突っ込むのだろうかとオレは納得できなかったのだ。そんなときは水のない方に逃げて、たとえそれが家とは逆方向であってもクルマを全損させるよりはマシじゃないかと思うのである。あるいはどっちに進んでも水没中なのでどうしようもなかったのかと。
戦後の日本の治水対策は河床をコンクリートで固めたり蛇行する川を直線化したり、砂防ダムを多数山の中に造ったり、上流に巨大なダムを造ったりという力で押さえ込むという方向で行われた。もちろんそれで解決できた水害も多いだろう。土木工事の手が入っていない川は四万十川のような例外を除いてほとんど無い。もちろん四万十川にしても自然そのままということはないだろうし、すでに日本中のほとんどの川は人工河川にされてしまっているのである。
洪水の時に氾濫した水があふれることがお約束だった田畑も、いつのまにか造成されて住宅地に変わる。そこがかつて 氾濫原であったことも知らずに買う人がいる。昔そこで大洪水があったという カスリーン台風のような災害の記憶を覚えてる人はもうほとんどいなくなってしまったからだ。もちろんそうした大水害が教訓となって治水工事が進んだわけでもあるのだが。
今起きているような被害を根絶するためにさらに治水工事を行うべきなのか、それとも「昔に比べれば被害は小さくなった」ということで楽観視すべきなのか。そもそも上流へのダム建設という方法で水害自体を防げるのか。そんなことをオレは考えるのである。どうすれば被害を最小限に食い止められるのかと。
予知できる水害ならば避難すればいい。土石流の起きる可能性が高い場所はすでにわかっているはずである。ただその可能性があるからというだけで居住を放棄するわけにもいかずに人々はそこで暮らしている。だからこそ緊急時の迅速な通報と避難体勢の整備が肝要なのだろう。雨量が一定値をこえれば通行止めにする鉄道区間や道路はその一例だし、それでも強引に突っ切って災害に遭うのは自己責任である。しかし、今回の災害では九州自動車道を走行中のクルマが突然の土砂崩れに巻き込まれて乗員が命を落とすという痛ましい事故が起きている。まさかそんな場所が崩れるなんて思いもよらなかっただろう。
これまで日記の中でオレはダム建設を批判し、土木工事に頼る景気対策に対して異を唱えてきた。しかし、こういう水害があれば必ず「だからダムは必要なのだ」という議論が起きてしまう。ただ、オレが考えるのはどっちがコストのかかることなのかという選択肢なのだ。
治水工事とは雇用対策のために行うものではなくてあくまで必要に応じて行うべきである。その立場をオレは堅持したい。 カスリーン台風の後、利根川水系上流にはダムが建設され、その結果同様の災害は以後起きていない。だから治水工事の成果は確かにあったのだ。ただそれ以上の雨が絶対に降らないかというとそうした保証もない。そういう意味で「八ッ場ダム」の工事は4600億円の掛け金を支払った保険というとらえ方も可能である。その掛け金が高いか安いかは議論の別れるところだが。
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08月02日(日)
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