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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■福岡高裁の牧弘二は何を考えてるのか?
 もう20年以上も前のことだが、朝の通勤時にオレは中央分離帯付きの4車線道路を走っていて、歩道から道路の中央まで飛び出してきたクソガキを避けようとしてクルマをスピンさせたことがある。急ブレーキを踏みながらオレは「終わった!」とその時に思った。子どもをはねて死なせれば教師を続けることはできない。その時点でオレの人生はすっかり変わっていたかも知れない。クルマは進行方向真横を向いて停まり、オレはハンドルから手が離れなかった。そのまま呆然としていた。後続車のドライバーがオレのところに駆け寄ってきて「大丈夫か」「あんた運転うまいなあ。よく停まれたわ!」と感心していた。クソガキは走って逃げた。そんな思い出のあるオレは、今回この子どもたちをはねて罪に問われたクルマの運転手に対して激しく同情するのである。あんたこそ被害者じゃないかと。

 さて、上記の記事によると大分地裁にはまともな裁判官が居たようで、パチンコ屋には責任はないという判決を出してくれたわけだが、福岡高裁の牧弘二という裁判官には人間としての常識が備わっていなかったようでオレはあきれたのである。今話題になってる裁判員制度というものが導入される理由の一つは、こんなトンデモ裁判官が増えてどうしようもないからかも知れない。

 幼児同伴の客の入店を許したのはなぜか。もしも入店させなかったらその親はクルマの中に幼児を置き去りにして熱射病で死なせるかも知れない。許すも許さないもそういう客は勝手に来るのである。パチンコ屋がDQNの巣窟である以上、変な客はいくらでもやってくる。そして、残念ながらパチンコ屋は客を選ぶ立場ではないのである。変な客がやってくるのは店の責任だろうか。その責任はこういうクソみたいなギャンブルを野放しにしている国家にあるとオレは思っている。

 2歳の幼児が店の中で勝手に遊んでるのを監督する義務は親にはあっても店側にはない。そこで子どもが起こした事件の責任はすべて親にある。自分たちがパチンコに熱中している間に子どもたちが何をしているかに気づいていなかったのならば、その責任は双方の親にある。自分がパチンコに熱中してる間に娘が交通事故に遭ったとすれば、その間目を離していた自分の責任である。それなのに損害賠償を台車を押していた男児の親やパチンコ屋に求めようとするこの親に対して、裁判というのはきちっと「あんたが間違ってる!」と正論を示すのがその役目ではないのか。それなのに牧弘二裁判官はこの間違った母親の言いがかりを認める判決を下したのである。こんなむちゃくちゃな裁判官が居ることに対してオレはあきれてしまうのである。

 2歳の幼児を連れて来て、店内で勝手に幼児を遊ばせながらパチンコに興じてるような親に対して正論が通じるだろうか。「他のお客様の迷惑になりますから・・・」という注意ができるだろうか。常識のない人間に対してはどんな言い方も無意味なのである。パチンコ屋というのは子どもが入るべき空間ではない。だからそこには子どもが遊ぶ遊具などは存在しない。そこに子どもは存在してはいけないのだ。たとえ立ち入っていたとしてもそれは「店が入店を認めた」ということではない。勝手に親がルール違反してるのである。

 オレの運転している三菱FTOは時速180qくらい軽々と出せるが、それはメーカーである三菱自動車がスピード違反を認めたということではない。もしもオレが時速180qで走ってるとしたらオレが勝手に速度違反しているだけで自動車メーカーには責任はない。そんな速度の出るクルマを作る方が悪いなどとは言えないのである。

 「注意されないから子連れでパチンコ屋に入っていいと思ってました」という馬鹿親はもう一度小学校に入り直して世間の常識を学ぶべきだ。言われなかったら何をしてもいいと思ってるような人間だから、こんな言いがかりのような裁判を起こすのである。しかし、裁判を起こしてもちゃんとした裁判官が裁いてくれるならそれでいい。牧弘二、あんたはダメだ。あんたのような常識のない裁判官がいる限り、こんな勘違いした人間が増えてしまう。あんたは裁判官を今すぐ辞めてくれ。


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04月11日(土)
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