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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■お母さん、どうしてもわたしを病気にしたいの?
幼子が次々と亡くなったことで、義父母が「もう子供をつくらない方がよいのでは」と諭したこともあったが、夫婦は「長女を一人っ子にするのはかわいそう」と話したという。だが、四女も生後9カ月で死亡。家族の間では子供の成長の話をすることを避けるようになっていたという。
 事件について義父は「息子から説明を受けたが、本当に利発な嫁だったし、そんなことがあったとは夢にも思えない。息子も信じられないと言っていた」。長女には自ら説明したが泣き崩れたままだったという。
 一方、岐阜県中濃子ども相談センター(児童相談所)によると、これまで女の児童虐待が疑われたことはなかったという。石田公一所長は「もし、代理ミュンヒハウゼン症候群であれば、あまりないケース。子供の回復を待ちつつ、父親と相談しながら対処を検討したい」と話した。


 さて、誰もがここで不審に思うのは、長女と今回の被害にあった五女以外の3人の子たちがすべて死亡していることだろう。次女は4歳、3女は2歳、4女は生後9ヶ月で亡くなっているのである。「他の子どもたちも同様の方法で殺したのでは?」と疑われても仕方がない。

 オレが想像するのは、次女を看病しているときにこの母親はその「代理ミュンヒハウゼン症候群」になったのじゃないかということだ。全くの憶測だけれども、次女を「看病している母親である自分」であったときに得られた充実感や高揚感、それをもう一度手に入れようとして3女、4女を次々と病気にして結果的に殺害し、今度は五女にも同様のことを仕掛けたのではないかと言うことだ。

 では、この行為を殺人や殺人未遂として罰することができるのか?オレはかなりの厳罰主義だが、この母親の行為をそうして裁けるかどうかというとかなり疑問なのである。というのは、この母親は明らかに精神を病んでいるのであり、だからこそそんな危険な行動を取るのだ。彼女にとっての加害の対象は今回は子どもだったが、もしかしたらそれは夫や親に対して行われたかも知れない。少なくとも彼女自身が看護に関わる可能性のある人はすべて彼女によって傷つけられる可能性が存在したということなのである。そして彼女の行動の動機は屈折しているが、いちおう愛情の現れの一形態なのである。

 もしも自分の身内が全くいない世界なら生きていけるのか。いや、そこでもきっと友人を病気にして、「病気の友人を献身的に看護する人」という役回りを演じようとするだろう。そう考えればやはり誰かを傷つけなければならない宿命を背負った存在なのである。なんて恐ろしいことだろうか。

 自分の幼い妹たちを次々と殺したのが、実は母親だったという事実を知った時、長女はどんな気持ちになっただろうか。世の中にはこんな救いのない悲劇があるのか。その母親はふだんはやさしい母親の仮面をかぶってるのである。そのくせ、周到に準備した腐敗水を点滴に巧妙に混入する冷酷さを兼ね備えているのである。

 もしも自分がこの長女の立場であったならば、母親の犯した罪を許せるだろうか。自分の妹たちを奪ったその行為を決して許すことはないだろう。しかし、それでも唯一無二の母なのである。そんなとき、いったいどうやって接したらいいのだろうか。許すことによってしか相手を救うことができないのならば、やはり許さないといけないのだろうか。オレはやりきれない気持ちになるのだ。なんでこんなことするんだ。それしか言えないのである。

 オレがこの虐待を受けた子たちの父親だったとしたら、すぐにこの狂気の妻を追い出して、二度と家には帰らせないだろう。とっとと荷物をまとめて消え失せてくれと罵倒するだろう。そして自分が残された子たちを精一杯育てようと誓うだろう。しかしその狂気が自分へと向けられたらどうするだろうか。もしも妻が、病弱の夫を支える献身的な妻という役目を演じたくて自分を病気にするようなことがあるならば・・・オレは愛情というのものの意味がわからなくなってしまうのである。


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12月25日(木)
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