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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■思い出の京阪特急テレビカー
 オレが大学を卒業してから25年経った。三条までだった京阪電車は出町柳まで延長され、京都大学に通うにはさらに便利になった。もしも出町柳までの開業がオレの大学入学よりも前なら、もしかしたらオレは京都で下宿生活を送らなかったかも知れないし、そうなるとオレの人生もずいぶん変わっていたかも知れない。あの頃、オレは大学からバスで東山三条まで移動して、そこから京津線の路面電車に乗ることもあれば、三条京阪まで約500mを走ることもあった。三条京阪から出る特急の発車時間は頭に入っていたので、それに合わせてのんびり歩くこともあれば、必死でダッシュすることもあった。1900系車両引退の記事を読んで、そのころのことを思い出してとてもなつかしくなったのである。

 京都市バスの車両はいつのまにかみんな低床式になっていたし、京阪三条の駅は地下駅になって全く形を変えた。駅前にあったサパークラブ、ベラミはもう影も形もない。そこで山口組の田岡組長が鳴海清に撃たれた事件は、確かオレが共通一次試験の受験勉強をしていた夏だったなあと思う。過去の記憶につながるものであっても文化財の寺社以外はどんどん姿を変えていく。行きつけだった喫茶店もどんどん消える。荒神口の「しあんくれーる」も木屋町四条の「みゅーず」も今はなくなった。かろうじて「フランソワ」や「進々堂」「RINGO」「わびすけ」は昔と変わらずそのままの姿で残っているようだが。久々に訪れた風景が昔とすっかり異なっていて、昔行きつけにしていた店がもう跡形もないのは寂しいことである。京都大学構内の風景も昔とすっかり変わってしまっているという。オレはそれをなんだかとても寂しく感じるのであった。

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11月22日(土)
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