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江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■毎日新聞に子育てを語る資格はありません!
 雅子さまが療養に入って丸5年がたとうとしている。雅子さまへの批判、疑問は年々、強まっているように感じるが、今回の件を見て改めて思うのは、その原因を作っているのは詳しい説明をしない宮内庁であるということだ。
 病気で苦しむ雅子さまの行動は時にわかりにくく、誤解を生みやすい。それを補足するのが宮内庁なのに、「ご病気」「体調に波がある」で終わらせることが多い。それは雅子さまを孤立させることにほかならない。雅子さまと皇室の将来を考えるならば、宮内庁はもっと説明に心を砕く責任がある。(東京社会部)

 さて、このコラムの筆者である真鍋氏の主張は

「皇族ならば公務優先」
「公務を欠席するなら宮内庁は理由を示すべき」
「愛子さまの運動会を観戦することよりも夫と一緒に全国障害者スポーツ大会に行くべきだった」

ということである。しかし、雅子さまは欠席でも皇太子さまはちゃんと出席されている。娘である愛子さまの運動会よりも公務を優先したのである。それで十分じゃないか。

 たとえばオレの息子が運動会の時にオレの勤務する学園も運動会ならば、仕事が優先だからオレは息子の運動会を見に行けないことになる。しかし、ちゃんと妻が代わりに運動会を見に行ってくれている。もしも両親がどちらも見に来られないということなら子どもはかわいそうじゃないか。他の子どもたちはみんな家族とお弁当を囲んでるのに、自分だけはひとりぼっちだなんてあまりにも悲惨じゃないか。今年はたまたまオレの次男の運動会とオレの勤務する学園の運動会は重ならなかったので、オレは小学校の運動会の時に妻や息子と一緒にお弁当を囲むことができた。雅子さんが愛子さまの運動会を見に行くことをなぜ公務よりも優先してはいけないのか。そもそもその日が学習院初等科の運動会であるということはかなり前からわかっていたわけで、その日に公務を入れてることの方が理不尽ではないのか。

 皇族といえども一人の母親である。なぜ公務優先で親子の情愛を否定されないといけないのか。7歳の子どもにとって「運動会に両親がどちらも来てくれない」ということがどれほど悲しいことであるのか、真鍋氏は想像したことがあるのか。もっと大きくなれば親の職業ゆえに仕方ないことだという分別もつくだろう。しかし、まだ7歳なのである。真鍋氏が何歳なのか、結婚していて子どもがいるのかどうかをオレは知らない。しかし、雅子さまが愛子さまの運動会を見たいという気持ちを「公務優先」とばっさり切り捨てるような記者に果たして子育てを語る資格があるのか。このようなコラムをノーチェックでそのまま掲載させた毎日新聞に子育てを特集する資格があるのかとオレは感じるのである。

 野村東宮大夫も「病気だから」なんて言わなくてもよかったのだ。「どうして母親が娘の運動会を観戦するのがいけないのですか?」と開き直るべきだったのだ。準備に汗を流してきた大会関係者、障害者、ボランティアの方たちが「これだけ準備してるのだから愛子さまなんかほっとけよ!」などと言うだろうか。そんなに心が狭い方たちであるとはオレは思えない。きっと事情を理解してくださると思うのである。

 雅子さまがかけっこをする愛子さまに手を振り、カメラで撮影されるほほえましい光景こそが、実は国民の多くが待ち望んでいる姿である。毎日新聞はその幸せな様子をこそ報道して祝福すべきだったのであり、その幸せを全否定するようなこのようなコラムを掲載していることに対してオレはものすごい不快感を覚えたのである。

 オレが毎日新聞を読めるのは職場に置いてあるからだが、こんなひどいコラムを載せる新聞に対して、ゼニを払って購読することだけは断じてするまいと思ったのである。もしも毎日新聞を購読する読者の方で、オレと同じような不快感を覚えた方がいれば読者として新聞社に抗議して欲しい。それはゼニを払って読んでいる方の正当な権利だから。そして毎日新聞社から丁重なお詫びの言葉がなかったら、そのときは購読をやめるべきである。とにかくこのコラムの内容はあまりにもお粗末である。

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10月24日(金)
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