ID:41506
江草 乗の言いたい放題
by 江草 乗
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■リタリン飲めば、殺人も無罪
 電気ドリルやナイフ、ドライバーで人を追い回して刺すような危険な人間がこの世に存在すること自体、オレは耐えられないことである。死刑というのはこのような人間を抹殺して市民生活の平穏を守るために行われるのではないか。薬物の影響が仮にあったとしても、薬物にのめり込んで行く人間というのはやはり自己責任であるとオレは思っている。その初期の段階において、このままではダメだということくらいは判断できるはずだからである。また、そうした薬物を処方する医師も危険には気付くはずだ。こうした薬物乱用による犯罪や事件を防ぐ方法はただひとつ、どこかの無人島にそんな連中を隔離してしまうのである。市民社会に置いておくから危険なのであり、もはや矯正は困難と見れば脱出不可能な島を収容所にして、そこから出さなかったらいいのである。もちろん薬物依存から抜け出せるようにする治療は可能な限り行うべきだが。

 判例というのはどんな馬鹿裁判官が出したモノでも一つの前例として存在してしまうわけで、ここで「リタリン中毒なら殺人も無罪」という判例が出た以上、これから行われる裁判ももしかしたらそれに影響されるかも知れないのである。裁判官はもっと自分の判決に責任を持ってもらいたい。馬鹿裁判官が間違った判決を下せば、それによって迷惑するのは裁判官ではなくて真っ当な市民である。そんな単純なこともわかっていない馬鹿な裁判官がこの世には多すぎるのだ。

 オレが危惧するのはこの裁判官が「殺意」を認めつつも「善悪を判断する能力を失っていた」という理由で無罪にしていることだ。殺意が先に存在するのである。善悪を判断する能力を失った結果、殺意が生じたのならまだ話はわかる。もともと存在する殺意が理性の力によって抑えられていたのに、リタリンを大量に飲んだ結果判断能力が失われて犯行に及んだということならば、リタリンはただの引き金に過ぎず、「殺意」が先に存在したことこそが問題ではないのか。

 常識で考えて、自分の娘の配偶者が薬物中毒のクソ野郎(その上中年ニート)であったとしたら不愉快に思って厳しく接するのは当然の行為だろう。というか、そんなヤツと娘をとっとと別れさせようと思うだろう。オレがその義父の立場ならそのクソ野郎に「おいこら穀潰し野郎め!」と罵るに決まってる。ケンカになるかも知れない。しかし、オレは娘を守るために、そんなクソ野郎と別れさせるためにそのクソ野郎を殴るだろう。まともじゃない人間を排除するのは真っ当な市民にとって当然の行為である。人は誰もまず自分の生活を守らないといけないのだ。電気ドリルで人を追い回して殺し、しかも自分の住んでいる家に火をつけるような破壊的衝動を持つ人間がこの世に存在することが間違いなのである。死刑というのはこのような危険な人間を抹殺するために必要な社会の仕組みであるとオレは考える。

 たとえ薬物中毒であっても裁判は通常の刑事事件と同じように罰を決めるべきだというのがオレの持論である。それが社会の偏見を防ぐのだ。オレは薬物中毒の人をすべて社会から排除しろと言ってるのではない。治療のための適切なプログラムが組まれ、社会復帰させるためのシステムを整備することは急務だろう。その上で不幸にも薬物中毒者によって犯罪や事件が引き起こされた場合は、一般人と同様に犯した罪に相当する罰を与え刑に服してもらうことこそが偏見を防ぐのである。人権の意味を勘違いしている馬鹿が多いので一言言っておくが、罪を犯しても障害や病気ゆえに守ってもらえるのが人権などではない。一般人と同じに扱う平等な待遇が保障されてることがすなわち人権が守られてるということなのだ。人を殺しても罰を与えてもらえない存在というのは、ある意味市民社会から排除されてるのと同じことである。そんなヤツと誰が付き合いたいと思うだろうか。平等に扱ってこそはじめて彼らを対等に見なしてるということになるのだ。

 この馬鹿裁判官のせいで「リタリンで心神喪失なら無罪」とみんなが勘違いすれば、人を殺しに行く前にリタリンを大量に飲むヤツが出現してしまうのである。もしもそんな事件が今後発生すれば、被害者家族は今回の裁判長だった小原春夫氏の責任を追及し。小原氏から賠償金を取ればいいだろう。


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10月04日(木)
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