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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■シンガポール「icon」誌の記事・下●追記
きのうの続きです。
若芽から枝を伸ばし葉が生い茂るまで
金城武は日本市場に進出したことがある。
西暦2000年には、「二千年の恋」に出演した。
最近3年間は、ほとんど毎年(あるいはもっと長い)1作しか、映画に出ない。
2003年「ターンレフト、ターンライト」、2004年「LOVERS」、2005年「如果・愛」。
出演作が少ない主な理由は、自分がピンと来るものにだけ出るからで、
最近、国際的な大作が多いのは、映画界全体の環境がそうなっているからだと、
彼は言った。
「1997年の香港返還の前後、香港映画の数はぐっと減りました。
返還後、中国大陸への進出が始まったんです。
映画だけでなく、テレビも同じです。
一時期は混乱して、みんな、どこへ行って何を目標にすればいいのか
わからないでいると感じたときがありました。
実は、ぼくたちはみんな周りの環境に影響されて、
中国内地をめざす人がどんどん多くなっています。
今、世界中が中国で発展したいと考えている。
もうハリウッドに行く必要はないし、彼らがこっちに来ようとしている。
ですから、将来は国境を越えた映画製作はますます増えるでしょう。
ぼく1人がそうだというわけではないんです」
10年は、短い時間ではない。
金城武は1996年にアルバム「多苦都願意」を出して後、
ずっとCDは出さず、映画が仕事の中心となっている。
今回、ミュージカル映画「如果・愛」に出演して歌を歌うことがなかったら、
若いファンは、彼がかつて90年代初め、音楽界の新人アイドルスターであったことを
ひょっとしたら知らないままだったかもしれない。
過ぎ去った10年の間における変化についてたずねられると、
武は内向的な性格は10年経っても変わらない、
いつも、大人しく物静かだと思われているが、
本当は何を言ったらいいのからないだけなのだと答えた。
また、この映画での役も10年間の成長の過程を表現するものだが、
過去≠フ時代を演じるときは、
自分の20歳を少し出た頃の生活と考え方を思い浮かべた。
しかし同時に、役の未来≠ノ融けこむために、
自分自身の10年後も想像しなければならなかった。
芝居の内でも外でも、いつも時間とのかくれんぼうをしていたのだ。
不意に、かつて彼を発掘した陳昇(ボビー・チェン)のことが頭に浮かんだ。
およそ9年前、金城武はすでに陳昇のもとを離れ、
より広大な国際映画市場に飛び込んでいた。
あるとき、陳昇がテレビで歌を歌ったとき、司会者が彼に、
弟子が別の世界へ飛び立つのを手放す気持ちはどうかとたずねた。
この恩師はたいそう含蓄のある話をした。
彼はこう言った。
人は樹木と同じようであるべきだ。
それぞれが自分の土によって、独立して成長していく。
高くなろうと努力し、ある日、枝が伸び葉が茂って相手まで届くようになったときに、
空中で互いに手を振って挨拶できるというのも全然悪くない。
必ずしも相手を縛り付けておかなくちゃならないわけではない――
ここ数年、この小さな木は既にたくましく成長をとげた。
彼は自分の成功をどう見ているのだろう?
「人はいつも環境によって変化するし、上下するもので、
いいか悪いかはそのときの境遇に過ぎません。
状況がいいときは、それを大事にすることを知って、全力を尽くさなくてはならない。
もし状況が良くないなら、勉強して、次はもっといいチャンスが訪れるよう、
いっそう努力をする。
よい境遇、悪い境遇とも1つの過程ですよね。
自分が最後にどうなるのかはわからない。
50歳のぼくはもっと良くなっているのか、それともだめになっているのか、
それを言うのはとても難しいよ。
だから、今のチャンスをつかまえて、
やりたいことをやり、撮りたい映画を撮ることに専念する。
それがぼくにはとてもいいんです」
協力とは言われるままに何でもすることではない
金城武の今回のシンガポール来訪には、いくつもの制限℃枕があった。
記者会見とインタビューの間は、撮影禁止、
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01月31日(火)
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