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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■ジミー原作・2つの映画化(「地下鉄」と「向左走、向右走」)
アニタ・ムイ後の「十面埋伏」についての情報は、落ち着いてきたように思われますが、
たまには違う話を。
「向左走、向右走」に続いてジミーの原作を映画化した「地下鉄」が公開になりましたが、
その批評が「左右」との関連で書かれていました。
「地下鉄」については知らないのですが(本は読みました。よかったです)、
その比較の上で、「左右」の見方がなるほどと思ったので、
紹介します。
例によって、構成にかかわるところは反転して読んでください。
「地下鉄」 夢を描き出せず
映画は観衆に夢を与える。
成功した映画は、90分の間、観衆の心をとらえ、夢の中に浸らせる。
お正月映画「地下鉄」は、残念ながらこれがかなわなかった。
この作品はジミーの絵物語の映画化である。
童話感覚がジミー作品の特色であり、お正月映画にはぴったりだ。
だが、ファンタスティックでロマンティックな映画に仕上がるには、
脚本家と監督の技量があれば十分というわけではない。
「地下鉄」は、トニー・レオンとミリアム・ヨン、チャン・チェンとドン・ジェの
2組の恋人の平行した物語を通して、主題を語る。
すなわち、人の愛にはみな出口≠ェある、というものだ。
レオンとヨンの物語は写実的に描かれる。
レオンはヨンと知り合った後、突然盲目になる。
最後に天使の助けで、また光を取り戻すという脚色は、
映画の細部の描写に空白の部分を残し、またコメディ効果を造出した。
チャン・チェンとドン・ジェの物語の方は、あまりに雰囲気の表現(写意)に傾き、
いささかわかりにくい。
2つの物語の間をつなぐ話は、写実的にも写意的にもうまく処理できておらず、
ストーリーは自然な感じに完成されていないので、
観衆への感染力を欠く結果になった。
また、監督の、範植偉扮する天使の処理には大きな問題がある。
映画があまりにも写実的雰囲気で始まるので、
観客は、あらかじめストーリー紹介を読んでいないと、
範植偉が愛を教える天使だということがまったくわからないのだ。
困ったことに、この天使は全編を貫くキーとなる人物なのである。
このような欠陥は、監督の想像力の不足を示すものだろう。
この天使のイメージが成功していないことは、映画の後半で次第に表面化し、
観客に、混乱して、わざとらしいストーリーだと感じさせてしまう。
映画は初めから終わりまで観客の心をとらえることなく、
まるでできそこなった夢のようだ。
地下鉄老人≠フわざと煙に巻くようなセリフは、もっとわけがわからず、
何を指すのかはっきりしない。
ひるがえって「向左走、向右走」を見ると、
「地下鉄」より、確実に、きちんと組み立てられているのがわかる。
まず、脚色演出の2人が金城武とジジ・リョンを選んだのは、まことに正しい。
この2人のスター俳優は、外形から雰囲気に至るまで、
童話的感覚を大変よく備えているからだ。
だが、トニー・レオンとヨンの持ち味は、あまりに現実的で、年齢も高すぎ、
観客が自然に童話的世界に入っていくのが難しい。
次に、ジョニー・トーの映画的想像力は、はっきりと馬偉豪よりも上だ。
「向左走、向右走」は魂の結ばれた2人の恋人を、平行モンタージュによって語っていく。
脇役に医者と外食店の女が登場しても、2人は緊密に主役にからみ、
映画全体の調子を全く分散させない。
さらに、宋詩、ポーランドの恋愛詩、そしてバイオリンの調べが
この物語を感動的で、ロマンティックな魅力に満ちたものにしている。
こう言えるだろう。
「向左走、向右走」はジミー作品の映画化の最良の見本である。
それに比べ、もし、お正月映画≠ニいう衣がなければ、「地下鉄」は実は駄作だ。
今年のお正月映画は「無間道3」のマフィアの銃声を経て、
「携帯電話」の結婚悲劇の後、「地下鉄」が観客にほっと一息つかせたのは確かだ。
だが、プロデューサーのウォン・カーウァイに、
「お前も金のために判断を誤るときがあるのだな」とヤジを飛ばす観客の方が
きっと多いに違いない。
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01月02日(金)
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