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武ニュースDiary
by あさかぜ
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■金城武とその父 (1)
そのため、少年時代の金城武は、父母に「自分は何国人なのか」という
疑問をぶつけたこともほとんどなかった。

「子どものとき、人はぼくを見て、台湾人とは違うとわかるんですよね。
で、お父さんは何人? と聞いてくる。ぼくが日本人だと答えると、
じゃあ、君は日本人だねと言うんです。
でも、ぼくは台湾に暮らしていて、日本のことは全然知らない。
だから自分が一体何人かは、あまり考えないことにしました」

18歳のとき、彼は初めて日本を訪れた。
飛行機を降り、空港の「お帰りなさい」という看板を目にしてひどく戸惑った。
「ぼくはずっとその看板を見ていました。よくわからなかった。
台湾がぼくの家だ。なぜこの見知らぬ土地が、
ぼくをと迎えるのだろう?」

成長するにつれて、金城武と父親は少しずつ距離を縮め、意見を交わし、
「友達父子(おやこ)」として心を通わせるようになった。
武が父親に、芸能界の仕事につきたいと話したとき、父親は初めは賛成しなかった。
息子を心配したからだ。

「彼は今はもう20歳を過ぎているけれど、
それでも私にはまだ子どもに思えて、とても心配です。
芸能界については、あまり良くない話をたくさん聞いていました。
それに、行き詰まったとき、何の保障もない。
それまでの努力は無駄になってしまうんです。ですから、心配しました。
しかし、私は思いました。彼を信じよう。
今は、彼がこんなに努力しているのを目にしていますから、もう反対していません」

今年の父の日、武は父親にゴルフクラブをプレゼントした。
初めての父の日のプレゼントだった。
父親が嬉しそうに笑ったのを見て、武は満足と、ある成就感も感じていた。
「ぼくはお父さんに知ってもらいたかったんです。
ぼくがもう大人になって、ものを買ってあげられるようになったんだって」

男前に成長した息子を眺めながら、金城節はこう言う。
小さい頃、武が間違ったことをして叱るとき、「視線は下を向いていた」と、
彼はてのひらを下に向けて、膝頭の辺りに手をやった。
「それから、このぐらいになって」と、手は肩の高さに上がった。
「目の高さが私と同じになったとき、私達は友達になったんです」
このとき、てのひらは眉の高さまで上げられていた。
「今、私が彼と話をするときは、こう言わなきゃならないんですよ
……すわりなさい、すわりなさい!とね」

成長した金城武は父母の心が前よりもよくわかる。
「両親がぼくを気にかけてくれているのはわかっています。
ときどき、やっぱりぼくの考えを本当にはわかってくれてないと思うこともあります。
でも、ぼくはこう言いたい。
心配しないでください、ぼくはもう大人ですから。
今は遊びまわったりしないし、悪いこともしない。一生懸命勉強しています。
これがぼくの選んだ道で、努力しながら歩いている。
失敗したって、別の道を選べます。
あなた方に、この子を生んだことで失望はさせない、
将来、必ず誇りに思えるようにしますからって」

親は、しかし子どもが健康でいさえすれば嬉しいのだ。
「彼の生活は昼夜逆転しており、日が出てようやく帰ってきて、
午後3時か4時ごろまた出かけていくという状態です。
彼が自分の身体を大事にして、それから自分の好きなことをしてくれさえすれば、
他に何も言うことはありません」

自分より頭半分ほども高くなった息子と並んだ父は、
息子と同じ色の普段着を着ている。
父が初めて息子と一緒にカメラの前に立ったわけは、
心路基金会のための公益CMのゆえだ。
心の中を語り合う父と子は、ますます友達同士のように見えた。
(民生報 1995.9.9)


BBS

05月29日(木)
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