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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■分け隔て無く vs. アルコホーリク限定
2年ほど前に、僕が引っ越しと転職をしたことをご存じの方も多いでしょう。
環境が大きく変わったことが、この「日々雑記」の更新が滞った原因の一つですが、それ以外にもAAのゼネラル・サービスに時間を費やされたことが主な理由でした。そのサービスの頸木(くびき)からもようやく解放される見通しがつき、これからはもう少し「家路」に時間を割くこともできる、と自分で期待しています。
新しい仕事の関係で、社会福祉の勉強をすることになりました。先日も5日間のスクーリングに行かせてもらいました。エリザベス救貧法とか、救血規則・・じゃなかった恤救規則とかから始まって、現在の自民党の政策までの社会福祉の歴史の話だとか、援助技術論とか公的扶助論とか。講師は大学で福祉を教えている先生でした。
社会福祉とは何なのか? 僕の単純な理解では、それは「困っている人を手助けすること」です。社会生活をしていく上での基本的な欲求を満たせない状態の人に、何らかの制度を使って助けてあげることです。
福祉制度の無かった時代は、裕福な人が行う「慈善」活動が福祉の役割を果たしていました。だが、慈善は与える側の善意が元になっていて、受け取る側のニーズは反映されにくいものです。他にも血縁・地縁による「相互扶助」の仕組みもありました。でもこの互助というのは、「頂いた分へのお返し」が必要なので、お返しできない立場の人は辛くなってしまう。そこで、税金などを使った公的な制度を作ったわけです。それが、公的扶助(生活保護)や年金や保険制度などの仕組みです。
社会福祉とは、困っている人のニーズと公的な仕組みを結びつける役割であって、必要な仕組みがなければそれを作る活動をしたり、自ら仕組みの一部となってサービスを提供するマンパワーになったりする・・・。
社会福祉は人権思想に基づいているので、対象を選別することを嫌います。例えば、生活保護には無差別平等の原則があって、困窮に至った原因は問われないのです。酒を飲んで身を持ち崩したのは自業自得だから生活保護は支給しない・・という扱いはしてはいけない。要件を満たす人は、分け隔てなく、可能な限り多く助けるというのが基本です。
先日、障害福祉の現場で働きながら、アルコールのことにも関心を持ってくださる、ある方と話す機会がありました。そしてすぐに、あることに気がつきました。その方は、手助けする対象がアルコホーリかどうかを気にしていないのです。アルコール多飲の原因が、依存症であっても、依存症以外の知的な障害や統合失調であっても、同じに扱っているのです。
福祉としては、それが正しい態度なのだと思います。アルコールで問題を起こしていれば、その人にとっては分け隔て無く助けるべき存在なのでしょう。
AAはそうではなく、アルコホーリクに対象を限っています。伝統5は「靴屋よ、なんじの本分をはみ出すな」(12&12, p.203)と、AAがアルコホリズムに専念するように言っています。アルコール多飲には、依存症以外の原因も考えられます。それを区別するのはAAメンバーの仕事ではありませんが、アルコホーリクではないことが明らかな人は、AAの対象でないことも明らかです。
もちろん、アルコホーリクでない人をAAミーティングから追い出せ、と言っているわけではありません。排除の理屈ではない。ただ「下手に多くのことに手を出すよりも、一つのことを最大限うまく行う方がよい」(12&12)という、選択と集中の原理が、AAを世界的に広める力になったことを忘れてはいけません。近年のAAの国際会議でも、"Singleness of Purpose"(AAの目的の単一性)というテーマが繰り返し扱われています。
同じことは、アルコール依存症の回復施設にも言えるのだと思います。アメリカの回復施設のスタッフやAAメンバーと話していて、強く印象に残ったのは、彼らは「(真正の)アルコホーリクだけを対象とする」ことに誇りを持っていることです。同じアルコホリズムという共通の問題を抱えていることが、助ける側と助けられる側に深い理解を生み、その共通の問題に対して12ステップという共通の解決策が提供される・・・。解決策を受け渡す手段が、ミーティングやスポンサーシップである、というわけです。
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03月18日(金)
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