ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■ありのまま願望の落とし穴
アスペルガー症候群(ASD)である狸穴猫(まみあなねこ)さんが、当事者の視点で書いている「アスペルガーライフblog」を時々読んでいます。
最近読んでいて「おおっ」と思ったのが、この二つのエントリ
定型者の自己イメージとASD者のありのまま願望
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-572.html
定型者の自己イメージとASD者のありのまま願望(2)
http://maminyan.blog5.fc2.com/blog-entry-573.html
この二つのエントリに目を通して頂いた前提で話を勧めるのですが、エントリ中の図
で、「根っこの自己」と表現されているのは、むき出しの本能のことでしょう。(この本能とは12ステップで言う本能で、人間の持つ様々な欲求・欲望のこと)。
その上に載せられている「切り替えられる自己」の多層(複数レイヤー)構造は、「社会性」というものでありましょう。
私たちはこの複数のレイヤーを、場面ごとに切り替えながら使っています。その切り替えはかなり自動的に行われているのであまり意識されません。職場、家庭、趣味のサークルなどで、それぞれ別のレイヤーを使い分けているでしょうし、同じ職場でも上司相手と部下相手では違うレイヤーを使うでしょう。
社会性について少し掘り下げてみます。以前、自閉症協会の会長さんの講演を聴いたことがありますが、その講演の中で会長さんは
「なぜこの部屋の中に歌を歌う人がいないのでしょう?」
と問いかけました。50人、100人と集まっていれば一人ぐらい歌を歌うヤツがいてもいいはずだ。・・・いや、そう言われても、僕がここで歌わないのは、講演を聞いている最中に歌い出して「変なヤツ、頭のおかしなヤツ」と思われたくないからです。それが社会性です。
僕だって、部屋で一人でご機嫌なときはふんふんと鼻歌ぐらい歌っているかも知れません。そのようにどのレイヤーを使うかは意識せず自動で切り替えられています。
僕らは苛立ちをモノにぶつけたくなるときがあります。イライラして椅子を蹴ったり、紙を破いたりしたくなる・・でも、そうしない理由は、自制心の足りない未熟なお子チャマだと思われたくないからです。
人には共存の本能があり、社会に属したいという欲求があります。人から認められるという承認欲求を満たさないと、私たちは生きていけないのです。だからこそ私たちは社会性を身につけます。上の図はそれを多層のレイヤー構造として表現しています。
発達障害を持つ人(中でも自閉的特性を持った人)は、シングルレイヤーと言って、このレイヤーが多層構造しておらず、単層(あるいはせいぜい数層)になっていて、しかも、そのレイヤーは意識的な努力によって維持されている、というのです。
シングルレイヤーの人でも共存の本能があるので、一人は淋しい。だから人付き合いに外に出かけていくのですが、ぐったり疲れたり、あるいは失敗して傷ついて帰ってくる・・・一人のほうが楽で良いけど、一人は淋しくて・・これの繰り返しが多いんじゃないかと思います。
定型発達の人は多層構造を無意識に維持しているがゆえに、「根っこの自己」との乖離は意識することはあまりありません。しかし、シングルレイヤーの人は、そのレイヤーを意識的に維持しているからこそ、乖離を強く意識する結果になるのではないか。だから、疲れない付き合いや社会参加を求めて「根っこの自己」を受け入れてくれる人間関係を求める。それが「ありのままの私を認めて欲しい」という希求につながるのではないか、という洞察が、上記のエントリの主張ではないかと思います。それには僕も同意します。
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04月22日(月)
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