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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■頑張らない(発達障害)
発達障害を抱えたスポンシーと話をしていました。

彼は仕事(あるいは勉強)を「よし頑張ろう」と心に決めると、仕事や勉強を頑張るだけでなく、コップを洗うとか、その他いろんな事にも頑張りすぎてしまうので、1時間もするとへとへとに疲れ果ててしまうのだそうです。

う〜む。

「頑張らない」(頑張りすぎない)っていう言葉がありますが、これはまさに発達障害の人のためにあるような言葉だなと思った次第です。

過集中の結果で頑張りすぎてしまう場合もあるでしょう。また自閉的特性がある場合は、ほど頑張るという「ほどよく」という曖昧なところが把握できないから頑張りすぎてしまうこともあるでしょう。

この「ほどほど」とか「ちょうど良いところ」が分からないのも発達障害の特性の一つです。

発達障害の解説本に出てくる例を挙げれば、ほうきを手渡して「この部屋を適当に掃き掃除しといて」と頼んでも、その「適当に」がわかりません。なのでむやみに時間をかけて丁寧にやっていたり、あるいは逆にずさんだったり、または「適当に」が分からないので混乱して途方に暮れたりとか・・・。

だから例えば「3分間かけてこの部屋全体を掃いて、最後にちりとりでゴミを集めて捨てたら終わり」という具体的な「適当さ」を指示することが必要なのでしょう。それができて、さらに「今日は汚れが酷いから3分じゃなくて5分かけてやろう」とかいう調整が自分でできるようになれば、適応に問題なくなると思います。

(ただ、掃き掃除のほどほどが把握できても、それがぞうきんを使った拭き掃除に応用できるかどうかは別ですが)。

だから、先ほどの頑張りすぎてしまう、集中しすぎてしまうっていうことに対しても、ただ「頑張らない」「頑張りすぎない」って言っているだけではダメなのでしょう。例えば「1時間のうち、20分間は意識的に集中して取り組んで、30分は集中できなくていいのでともかく取り組んで、残り10分は休憩」とかいう具体的な話をすれば(あくまで例ですよ)、ほどほどに頑張ることができるってわけなのでしょう。

話は変わって、AAのビッグブックはビル・Wの修辞に満ちた文章で書かれています。

 修辞:ことばを有効適切に用い、もしくは修飾的な語句を巧みに用いて、表現すること〜広辞苑より

発達障害を抱えた人がビッグブックを読むと、ビルの修辞法によって混乱させられてしまうことはしばしばです。

例えば42ページには「最初はか弱く見えた葦が、実は神の力強い愛の手であることがわかった」という文章があります。これだけ読んだら「なんのこっちゃ」ですが、前後の文章や、ビッグブック全体の組み立てを見れば、意味は分かります。

ビッグブックが書かれた時代、つまり初期のAAメンバーたちは、12ステップ(の原型)によってアルコホーリクが回復できるのか心許なかったわけです。「か弱い葦」というのは頼りなさの表現です。けれど、最初はビル・W一人から始まった12ステップが、3年ほどで数十人を回復させるだけの実績を残しました。その結果、彼らは12ステップには確かにアルコホーリクを回復させる力があると確信を深めた、というわけです。それが「力強い神の愛の手」という表現です。

ところが「ここに出てくる<神>って何だろう」というような細部に囚われてしまうと、ビルの言いたいことがくみ取れなくなってしまいます。

だから、「最初はか弱く見えた葦が、実は神の力強い愛の手であることがわかった」という文章を、「最初は私たちも12ステップでアルコホーリクが回復できるのか自信がなかったが、多くの実績が積み上がるにつれ、確かに12ステップで回復できるのだと確信を抱くようになった」というふうに修辞を解いた文章にして伝える必要があるわけです。

他にも、ビル・Wは同じ事を同じ言葉で表現することを嫌い、別の言葉で言い換える傾向が強くあります。


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12月19日(水)
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