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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■本人だけの集まりの欠点
最近は、たまに近在の断酒会に出席しています。といっても、用事があるときだけなので、年に数回にすぎません。それでも何年か続けていると、門外の僕にもそれなりに断酒会の雰囲気が分かってきます。
僕の周りには、AAと断酒会の両方に出ている人も結構たくさんいます。断酒会がメインの人は、AAに来ても断酒会っぽい話をしているな、と思います。
AAと断酒会にはいろいろと違いがあります。名前を出す(顕名)の集まりか、無名の集まりか。会費制か献金制か。助成金を受け取るか、受け取らないか。断酒会の指針・規範とAAのステップ・伝統の違い。良く言われるのは、こうしたことです。それらは確かに違いを作り出してはいますが、もっと大きな違いを作り出しているものがある、と考えるようになりました。
それは、家族の出席の有無です。AAはアルコホーリック本人だけの集まりです。だから、クローズド・ミーティングに出られるのはアル中本人だけです。オープン・ミーティングならば家族も出席できますが、メンバーとしてではありませんし、話すのはAAメンバーだけというオープン・ミーティングも少なくありません。AAでは家族はお客さんなのです。
家族のためには、アラノンという別の12ステップグループが用意されており、旦那がアル中だったら、旦那がAA、奥さんがアラノンに参加するのが良い、ということになっています。
日本のアラノンは基本的にクローズド志向なので、本人は出席できません。だから、AAメンバーは家族がミーティングで話をしているのを聞く機会がほとんどありません。自分の家族の話も、他のアル中の家族の話も、聴く機会に恵まれません。
断酒会は、基本的には本人も家族も一緒に例会に参加しています(本人だけ、家族だけの例会に分けることもありますが、基本は一緒)。そこでは家族の話を聞くことができます。
例えば、本人の飲酒に苦しめられた家族は「もう死んで欲しいと本気で何度思ったことか」という話をすることがあります。ところが本人は、家族がそこまで追い詰められていたとは、まるで思っちゃいないものです。家族がそこまで(心理的に)自分を見放していたとは思っていない。どこか、まだ見放されていない、大丈夫だという甘えがあります。
だからこそ、本気で死んで欲しいと家族に思われていた、というのは本人にとっては受け入れがたい事実です。そんな風に自分を見限った相手とはもう暮らせない、とまで言い出したりします(困ったもんだ)。自分の妻が例会に出ていなくても、出ていてもそう言わなくても、他の人の奥さんがそう言っていれば、自分の妻も同じかも知れない、と思い至るようになります。(最初のうちは、あの旦那は酷いことをしたんだなとか、あの奥さんは我慢が足りないなとか、自分のことを棚にあげて考えていたとしても、やがてはその態度に変化が起こるものです)。
受け入れがたいと思っても、受け入れざるを得ないものです。なぜなら、他の夫たちは、妻たちの言葉を、口を結んだり、苦笑いでごまかしたりしながら、受け止め、受け入れているからです。そこで、自分だけ言葉を拒絶するわけにはいきません。例会を重ねるうちに、自分にとって理不尽に感じる、不愉快なことでも、相手の立場に立って物事を見て、受け止められるようになっていきます。それが回復というものでしょう。
そういう話は家ではできず、例会だからこそできる(小出しにだけどね)。それがグループにおけるダイナミクスというものです。
奥様が、「指針には、迷惑をかけた家族には償いをすると書いてあるけど、ウチはまだよね。楽しみに待っているわ」とか発言しても、会場がくすくす笑いに包まれるのは、良い会場だと思います。
逆の効果は家族の側にも起こります。本人がまだまだ身勝手なことを言ったり、やったりしていても、他の奥さんたちがそれを受け止めているのを見て、本人の回復には時間がかかることを受容できるものだと思うのです。
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10月02日(火)
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