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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■バック・ツー・ベーシックス騒動(その1)
もう10年も前になるのかと思うと少々感慨深いものがあるのですが、2002年の夏の地域集会で選ばれて、2003年・2004年とAAの評議員を務めました。

ある程度大きな団体であれば、「決議機関」と、そこでの決議を執行する「執行部」というものがあるはずです。AAの執行部はボード(常任理事会)と呼ばれ、そのメンバーはトラスティ(常任理事)と呼ばれます。一方、決議機関はカンファレンス(全国評議会)と呼ばれ、全国から選ばれたデリゲート(評議員)と常任理事がメンバーです。

AAは統治機構を持たないので、常任理事会であれ評議会であれ、AAグループやメンバーに対して命令を下すことはできません。であるものの、評議会の決議は日本のAAグループの総意であるとみなされる重みを持っています。

評議員は地域のAAの声をすくい上げるために、結構忙しく活動しなければならず、アメリカでは「AAメンバーの離婚率は一般より低いが、評議員になると別だ」と言われるほどだそうです。僕も当時はほぼ毎月地元と東京での会議に出席していました。

そうした会議の中で、あるAAのイベントに問題があるのじゃないか、という話が出ていました。

そのイベントの主催は「AAビッグブックの集い」というAAメンバー有志の集まりで、イベントは千葉の鴨川で行われる一泊二日の12ステップ研修でした。それのどこが問題なのか?

実はその研修で使われるテキストが「バック・ツー・ベーシックス」という名前のテキストでした。

ここでいったん話はバック・ツー・ベーシックスに逸れます。

20世紀終わり頃のアメリカのAAでは、ジョー・マキューが述べたように「AAプログラムが薄められた」現象が起きていたようです。12のステップは個人がどう解釈しようとも自由で、そのため皆が首をかしげるような珍奇な解釈をする人もいますが、AAはそのような解釈の広がりを許容しています。しかし、20世紀後半にアメリカで依存症の治療施設がたくさんでき、そこから多くの人たちがAAに来るようになった結果、12ステップ以外の考え方が多くAAに持ち込まれ、12ステップの解釈が変質し、その効果が失われる結果となりました。いくら自由に解釈して良いとは言え、それがAAの根幹に関わるようでは看過してはおけません。

そこで対策として、12ステップの原点に戻る活動がメンバーの間に自発的に起こりました。その一つとして有名なのが、時折この雑記で取り上てきた「ジョー・アンド・チャーリーのビッグブック・スタディ」です。もう一つ有名なのが、ワリー・Pの「バック・ツー・ベーシックス」です。

ワリーさんは、ニューヨークのAAオフィスの記録庫を調べ、まだAAが外部の影響を受ける以前の1950年代に、AAがどのように12ステップを伝えていたかを調べました。そこで、当時はAAに新しく来た人(ビギナー)に12ステップを「教える」仕組みがあったことを発見しました。その仕組みを現代に再現したのがワリーの「バック・ツー・ベーシックス」です(略称B2B)。

B2Bの源流をたどると、AAのクリーブランドグループにたどり着きます。AAは、ビル・Wとドクター・ボブが出会ったアクロンで最初のグループが立ち上がり、やがてビル・Wがニューヨークに戻って二番目のグループがスタートしました。三番目のグループは、アクロンから60Kmほど離れた五大湖沿岸の街クリーブランドで始まりました。彼らはアクロンまで通って12ステップを身につけ、地元に戻ってAAを始めました。

クリーブランドで始まったAAの活動は、地元の新聞に取り上げられました。(その記事はAAの中で有名な文章として今も伝えられていますが、AAを賞賛する内容となっています)。掲載された記事を読んだ人たちが、クリーブランドのAAグループに殺到することになりました。

12ステップはスポンサーからスポンシーへ、一対一で伝えられるものとされています。その基本は今でも変わっていません。しかし、その記事によってたくさんのアルコホーリクがクリーブランドのグループに押し寄せたため、一対一で12ステップを提供することはとてもできませんでした。


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04月10日(火)
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