ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
[964341hit]
■ジョー・マキューの軌跡
ジョー・マキュー(Joseph Daniel McQuany, 1928-2007)は、アーカンソー州で初めてソーバーをつかんだ黒人だったそうです。1962年のアメリカ南部はまだ人種差別が激しく、白人男性のアルコホーリクのためにはいろいろ治療プログラムが用意されていましたが、黒人男性には劣悪な環境の州立病院しか用意されていませんでした(そして女性のアルコホーリクの選択肢は刑務所のみでした)。
解毒が済んだジョーはAAに参加します。しかし、黒人はまったく歓迎されなかったそうです。AAに参加するために必要な資格は「酒をやめたいという願望だけ」なので、誰も彼を追い出しはしませんでした。しかし、彼のAAスポンサーを引き受けてくれる白人は誰もいませんでした。それどころか、彼はミーティングで1年のバースディを祝うことさえ許されなかったのです。当時のAAでは、スピーカー・ミーティングと、ステップの経験を分かち合うステップ・ミーティングだけが行われ、今日のテーマ・ミーティングはまったくなかったそうです。
スポンサーを得ることができなかった彼は、誰からもステップを教えてもらうことができなかったため、仕方なくAAのビッグブックからステップのやり方を学びました。このことが、その後の彼のビッグブックへの関心を形作ったのだと思います。
10年後の1972年、彼は治療施設を始めます(名前は Serenity House)。その時彼に用意できた金額は$300しかなかったと伝わっています。
1973年(あるいは1975年か)に、ジョー・マキューはアラノンのコンベンションにスピーカーとして招かれ、同じくスピーカーとして招かれたチャーリー・Pと出会います。ジョーはチャーリーの名前だけを見て、有名な黒人歌手のチャーリー・プライドではないかと思ったそうですが、残念ながらチャーリー・Pは白人でした。ここで二人ともビッグブックに関心を持っていることが分かります。この共通の関心は、二人を親友関係へと発展させます。その後しばしば彼らは225マイルの距離を越えて会い、お互いのビッグブックへの理解を交換してプログラムを深めていきました。
二人はアーカンソー州やオクラホマ州で開かれるAAコンベンションの宿舎の部屋でも話を続けるのですが、やがて二人の話を聞きたいという人が増えていき、コンベンションのたびにこの非公式プログラムは人気を博していきます。そこに参加していたあるAAメンバーが、彼のホームグループで二人に話をしてくれないかと頼みます。それが4本のカセットテープに録音されて、「ビッグブック・スタディ」と名付けられて広まっていきます。
さらにこの年、1980年にオクラホマで開かれたAA国際コンベンションで、フロリダの熱心なビッグブック支持者 Westly P.がこのテープを100セット配布しました。これで二人の人気に火がつき、年に30回以上もの招待を受け、二人への評価が確立します。その後の20年ほどで、この二人はアメリカ全州、カナダのほか、ニュージーランド、オーストラリア、英国諸島各国、スイス、スエーデン、オランダで「ビッグブック・スタディ」を開催しました。
21世紀に入りパーキンソン病を患ったジョーは、この「スタディ」からリタイアし、もう一人のジョー(Joe McC)が後を継ぎます。新しいジョーはスタディの初期から参加していた経験あるメンバーだそうですが、悪いことにこのジョーも病に倒れてしまい、ここ数年「スタディ」は開催されていないと聞きました。しかし、過去に録音された音源は、カセットテープやCD、ネット上のMP3音源として入手可能です。チャーリーは80才を越えて健在だそうです。
この Joe & Charlie's Big Book Study の恩恵を受けた人は、20万人とも50万人とも言われます。
[5]続きを読む
04月01日(金)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る