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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■閉鎖病棟で3年
アル中の分散収容という言葉を知っている人は、この業界?でもかなりの古参でしょう。
おそらく20年ぐらい前までは、アルコール依存症の人はその他の精神病の人と一緒に精神病棟に入院しているのが普通でした。統合失調の人は入院中は継続して具合が悪いのが普通ですが、依存症の人は酒や薬が切れれば一見マトモに見えるようになってきます(そう見えるだけなんですけど)。自分はマトモだと思っている人に具合の悪い人と同じ行動制限を加えていると、不満が溜まってきます。
そうした不満を持ったアル中さんたちを、一カ所(同じ病室とか)に固めておくと、雰囲気が不穏になり、やがて統合失調の人たちを扇動して「病棟内反乱」を起こすこともしばしばでした。そうなると困るので、病院側はアル中さんを一カ所に固めず、病棟内のあちこちに散らばらせました。これが分散収容です。(古くローマ時代から伝わる知恵「分割して統治せよ」ってやつか?)

そうしたやり方を変えていったのは、久里浜病院での開放処遇です。いままで閉鎖病棟に閉じこめておいたアル中を開放病棟に移し、分散していたものを一カ所に集め(アルコール病棟)、期限の定めの無かった入院を2ヶ月あるいは3ヶ月と決め、ただ寝かせておくのではなく行軍や自省というプログラムを行いました。これが全国に広がった久里浜方式というやつです。

さらには依存症を取り扱うメンタルクリニックが増加したことにより、わざわざ入院しなくても、デイケアを含む通院による治療が普及していきました。こうして閉鎖病棟から開放病棟へ、入院から通院へと、依存症の治療は変わってきたのです。

ところが今でもアルコール依存症の人を閉鎖処遇している病院があります。現場のことを何も知らない僕は、そうした病院は「旧態依然の治療を行っている悪い病院」だと考えていました。けれど、必ずしもそうではないみたいなのです。

先日高名な臨床医の先生の講演を聴いたのですが、その中で、何度入院させても退院すると飲んでしまう人は、閉鎖病棟や保護室に2年とか3年入れておくと酒や薬が止まることがある、という話がありました。そんなに長い間行動制限するのは可哀想と言われるかもしれませんが、人間は大事なものは鍵をかけてしまっておくわけで、その人のことが大事だと思うからこそ(命を救うために)保護室に2年という処遇になってしまう、という解説でした。

前述の病棟内反乱の話でわかるとおり、アル中というのは酒が切れればマトモに戻ったような気がしていても、考えていることは全然マトモに戻っておらずメチャクチャなわけで、それで飲んでしまうというのなら、酒がちゃんと抜けるまで2年閉鎖処遇というのも妥当な話なのかもしれません。

依存症悩み事相談所を開設した覚えはないのですが、家族の方から相談を受けることは珍しくありません。その中にはいつまで経っても良くならず、着信時の電話番号を見るだけで少々うんざりというのもあります。典型的なのは、男性で、年齢は40代、職業は無職か危機的状況、結婚生活・経済生活は奥さんの驚異的な忍耐力によって維持されているか、あるいは一歩進んで実家に戻っておいた母親の年金で酒を飲んでいる状態。暴言があり、説教すれば暴れ、何度入院させても退院すればすぐ飲んでしまい、なかなか再度の入院に同意しない。家族が経済的にも精神的にも疲れた果てている・・。そんな話です。

保護室あるいは閉鎖処遇2年というのは、こうした状況に対する一つの回答なのかもしれません。そういえば、東京の某有名回復施設の所長を長くやったBさんも、飲まない生活の始まる前には保護室に2年入れられていたという話をしていたような気がします。

閉鎖から開放へ、入院から通院へと治療法が変化し、その変化のせいで助からない人たちを生んできたとするなら、昔のやり方も残す必要があるのでしょう。そんなわけで、その講演を聴いて以降、僕の考え方が変わり、その手の相談に対しては、どこそこの病院(そこは閉鎖しかない)に頼んで3年ぐらい入院させてもらったらどうか、という回答をしているのです。本人が治療意欲を持つのを待っていたら死んでしまう病気ですので(死ぬのが本人とも限らないし)。その判断の良否を判定するには数年かかるでしょうけど。

10月12日(火)
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