ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
[964467hit]
■摂食障害〜乱用と依存を考える
神戸ネタもそろそろ尽きそうです。
基本的に人間はNINO(No Input, No Output)だと思っているので、神戸大会のようなInputがあればOutputが出てくるものの、新たな刺激がなければ雑記に書くことも生まれてこないものだと思っています。
神戸では、後藤恵先生の摂食障害についての講演を聞きました。その中で印象に残ったのは、摂食障害からの回復の中期目標の一つに「組織の目標に沿って行動できる」、長期目標に「組織の目標を自分に合わせて変えていける」というのが入っていたことです。(文章はうろ覚えなので細かい表現は違っているかも)。
後藤先生のパワポはスライドが次々入れ替わるもので、一枚一枚の説明は短いものでした。それを僕なりにふくらませてみます。
ここで言う組織とは、学校や職場や自助グループのことです(家族ってのは入らないのかも)。集団の行動目標に沿って動けなければ人と一緒にやることはできませんから、社会復帰のためには「組織の目標に沿って行動できる」ことは必要です。これが短期目標の次の中期目標に来るのはうなずけます。
さらに、その目標が自分の考え方と違う場合に、いつも自分を押し殺して組織に合わせてばかりでは押しつぶされてしまいますから、目標のほうを自分に合わせて修正できなければなりません。そのためには、意見を表明して人を納得させるなどのスキルが必要になってきます。
環境調整によって症状を抑えることはできても、社会とのつながりを取り戻していく過程で、必ず自己の変革(回復あるいは成熟)を迫られる、という点はアディクション同様です。
話は後藤先生の講演から離れます。さて、摂食障害はアディクションなのかどうか?
それはイエスでもあり、ノーでもあります。斎藤学先生など依存症の専門医が診ていたアルコールの女性患者のなかには、アルコールと摂食障害を併発している人が多く、アルコールが止まっているときには食べ吐きがあり、食べ吐きが止まっているときにはアルコールが止まらないといった様相で、だったらアルコールも摂食も同じ依存症でいいだろうと考える人たちがいるわけです。一方で、思春期痩せや、神経性無食欲症という病名の患者を診ている小児科医の人たちは、それがアルコール依存症と同じ病気だとはとうてい見えないわけです。そんなふうに、医者の間でも診ている患者の層の違いによって、意見が異なっており、一つにまとまるとは思えません。
当事者の意見も割れていますが、自分と同じ意見の専門家の言葉を引用しているだけでは、まとまりようがないでしょう。
拒食のみで始まったあたりでは依存症とは無縁でも、やがて過食が混じるようになり、さらには過食おう吐やチューイングへと発展していく中で、物質依存やプロセス依存と同じ症状を見せるようになっていくわけです。その症状の変遷のどの部分を医者が診ているか(初期か、中期か、後期か)、当事者がどの部分にいるか(どの部分にいると自分が思いたいか)によって、摂食障害がアディクションであるかどうかの意見が分かれてくるのでしょう。
やはり乱用(abuse)と依存(dependence)は分けて考える必要があるのだと思います。乱用は依存を含む概念ですが、「依存のない乱用」というのはあり得るのです(その多くは依存に移行していくにしても)。
乱用というのは、何らかのストレス対処や、心の病の症状をきっかけとして始まります。仕事のストレス解消に酒を飲むとか、うつの人が自己治療として酒を飲むとか。やがてそれが習慣化し、量が増えていって、何かのトラブルが起きたときに「乱用」というレッテルが貼られます。この時点ですでに依存になっている人もいれば、まだの人もいます。けれど「まだの人」もそのまま放置すれば、やがて多くは依存の段階へと進んでいきます。
ストレスや心の不調を抱えたとき、アルコール以外のものを選ぶ人もいます。処方薬乱用をする人もいるし、パチンコにはまる人もいる。自殺しようとリストカットしたら、死ねなかったけれど気分がすっとした人はリスカにはまる。買い物やセックスにはまる人もいる。拒食や過食もその一つです。
[5]続きを読む
08月16日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る