ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■専門性って何だろう
子供虐待死から学ぶ、という専門家向けのセミナーになぜか参加していたひいらぎです。
普通は午前中が講演(講義)、午後が少人数のグループに分かれて事例検討を何件か、という組み合わせなのだそうですが、半日しかないのでいきなり事例検討になりました。周りは児童相談所や福祉事務所、学校の先生や施設の職員などなど。泳げないのに冬の日本海に放り出された気分です。

グループの人数は7人前後になるように調整していました。多すぎると発言しない人が出てくるし、少なすぎると別の視点から見ることができなくなるのだとか。それと、すぐに討議に入らず、その前に数分各自黙って検討する時間を設けていました。いきなり討議に入ってしまうと、頭の回転の速い人・声のデカい人が主導権を握ってしまうので、それを防ぐねらいだそうです。

事例検討は実際に起きてしまった虐待死事件の経過をたどりながら、虐待死を防ぐにはどうする「べき」だったのか、そしてなぜそれが出来なかったのかを考えます。

どうやったら防げたのかを考えるときに、社会の仕組みが悪いという話にしてしまってはいけないわけです。例えば「虐待する親も孤立して苦しんでいるのだから、それを支えるネットワークが必要だ」というのは正論なのですが、目の前の案件に対処しなければいけない人には役に立たない話なのです。

また、「こうするべきだった」という「べき」を考えるのは簡単なのですが、ではなぜそれが出来なかったかを考えないと前に進みません。(12ステップの棚卸しでも「べき」を見つけるのは簡単です。恨むべきではなかった・・というふうに。ではなぜ恨んでしまったのかを考えることで、性格の欠点が見えてきます)。

虐待死というのは、親が子供を守れず、親戚や近所も守れず、学校も子供を守れず、医者も守れず、児童相談所などの専門機関も守れず・・という(ワールドカップをやっているのであえてサッカーに例えれば)何人ものゴールキーパーがいたにもかかわらず、順番に全員かわされてゴールを許してしまった、みたいなものなのです。

最初の事例では、子供の左ほほとももにあざがあるのを医者がみつけて通報しました。左ほほのあざは右利きの人が利き腕で顔を叩いてできたもの、もものあざは正座させて上から何かで叩いた結果できたもの。これだけ明らかな虐待の徴候がありながら、対処が学校だけに任され、半分近く学校を休む状況が何ヶ月か続いた後に虐待死が起こっています。

全体を見渡せれば気づけるような「明らかなリスク」が見落とされているのは、他の事例でも同じでした。

最後に講師の先生が、専門性について

「専門性が高いとは、全体を見れば誰でもわかることを、どのような状況の中でも(実際の実践において)見失わない力があるということなのではないか」

と提示していました。

虐待死というのは足が速いんだな、というのが感想です。リスクが発生してから数ヶ月で死という結果がでてしまいます。現場の緊張感というのを感じます。それにくらべて依存症というのは(大人だし)致死性といっても、死ぬまで何年も何十年もかかるので、ゆっくりしたものです。

最近あっちでもこっちでも「専門性の確立が必要だ」という言葉を聞きます。しかし専門性って何なのかがわかりません。もちろんその分野の専門的な知識や技量が必要なのは言うまでもありません。教育、福祉、医療、なんでもそうでしょう。しかし、それ=専門性というわけでもなさそうです。この疑問に対する答えが、講師の先生の最後の言葉だったのではないか、と思いいたりました。

話は変わって、AAのスポンサーにも専門性は必要です。AAはアマチュアなんだから素人で良いじゃないか、という話もあるでしょう。もちろんそれはその通りで、スポンサーになるために専門的な教育を受ける必要はなく、その人の回復の経験がありさえすれば十分です。けれどAAのスポンサーシップはアマチュアであることを(技量の低さの)言い訳にするのではなく、高い専門性を(素人ゆえに)無料で提供できることに誇りを持つものです。


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06月14日(月)
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