ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■というわけで共依存について
6/2の雑記で
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20100602
「アディクションの基礎概念」を説明し、
翌日の雑記で
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=19200&pg=20100603
「その概念を他の依存に拡張」してみました。

依存症とはコントロールを失う病気です。ほどほどでやめる(量のコントロールをする)ことができない以上、唯一の解決方法は完全にやめることだけです。一方、食べ物や買い物への依存の場合には、完全にやめることはできません。ではコントロールを取り戻せるのかというと、そうではなく、やはりある一線を越えれば病気がぶり返してしまいます。

アルコールやギャンブルの場合には、健康と不健康を分ける境界線は量がゼロのところ(しかも全員同じ場所)に引かれている。食べ物や買い物の場合には、その線はゼロのところではなく、しかも人によってその線の場所が違っている。・・という違いがあるものの、「ある線から向こう側には行けない(一生)」という点は同じです。

そしてその概念は、感情の依存や共依存にも拡張できることを説明しました。

様々な依存症のなかには、医学がまだ病気として認めていないものもあります。しかし医学が認めていない病気でも、それがアディクションであれば同じ概念が通用します。つまりたまたま依存の対象が違うだけで、同じ病気なのです。そして、同じ病気であれば、治療法も同じとなります。

旦那さんも奥さんもアル中という夫婦がいたとします。この場合、旦那にも奥さんにも同じ治療が必要、というのは分かりやすいことです。これが、旦那さんがアル中、奥さんがパチンコ依存だったとしたら? AA・GAというグループの違いはあるでしょうが、やる治療は同じです。片方だけを治療して、もう一方は治療しない、なんてあり得ません。

では・・・。旦那さんがアル中、奥さんが共依存だとしたら?

もちろん、同じ治療が必要であり、対処も同じになります。

例えば、「自力でやめることは困難だ」というもアディクションの基礎概念の一つです。飲んでいるアル中に「酒をやめろ!」といくら説教をしても無駄です。そのことは良く理解されています。

さらには、一人で酒をやめようとして、何度も失敗している人に対して、私たちは「医者に行け、自助グループに行け」とアドバイスをします。それは依存は「一人でやめることは困難」ということが理解されているからです。

(簡単にやめられて、一生ぶり返さなければ、それは依存症ではない)。

では、旦那がアル中だという奥さんが、そのことを相談をすると、どんなアドバイスをもらうでしょうか。僕も以前はこんなことを言っていました。

「旦那さんの病気の尻ぬぐいをするのはやめなさい。過度な関わりを避け、旦那さんを手放して、あなた自身の幸せを考えなさい」

・・だがこれは、アル中に酒をやめろと説教しているのと同じです。もちろん、やめなくてかまわないと思っている人に、「やめるべきだ」と言うことは必要です。しかし、やめられなくて悩んでいる人に、繰り返し「やめろ」と言うのは無意味です。

(簡単にやめられるのなら悩んでいないし、簡単に自分の幸せに気持ちが切り替えられるのなら、それは共依存ではありません)。

しばしば繰り返されてきたことは、依存症のことは分かっているはずの援助職の人が、相談に来た奥さんに「手放して、あなた自身の幸せを考えなさい」という、一見もっともらしいけれども役に立たないアドバイスをすることです。これは共依存をヤメロヤメロと説教しているのと同じです。結果的に共依存はおさまらず、奥さんが旦那に酒をヤメロヤメロと言うのは止まりません。

援助職が家族に対してヤメロヤメロと言い、家族が本人にヤメロヤメロと言う。本人が家族にウルセエと言う。こんな構図では問題が解決しなくて当然です。

では、どうすればいいのか。


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06月11日(金)
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