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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■病気だから
「病気だから」という理由で、許してもらえる不始末はたくさんあります。
インフルエンザにかかったら仕事を休んで当然ですし、精神病であれば犯罪が不起訴になることもあります。

病気に無理解ならともかく、理解しているならば症状を非難しても意味がないことは分かります。

依存症というのは「自分の思い通りにしたい」病気です。それが病気の症状であり、具合が悪ければ悪いほど、その症状も重くなります。例えば、自分が悪かった場合でも素直に謝罪することができなくなります。「ごめんなさい」が言えないのも、アル中という病気の症状です。

例えばAAというのは、そうした病気の人の集まりですから、仲間の症状を責めることはしません。気に入らないことがあれば椅子を蹴って出て行ってしまってもいい。そして次の回には何食わぬ顔でそこに座っていてもいい。それが何事もなかったように受け入れられる。(現実のAAがそうなっているかどうかはともかく)それが一つの理想の姿です。なぜなら、「思い通りにならないのが気に入らない」と出て行ってしまうのも症状だし、「この前は失礼なことをしてごめんなさい」と謝れないのも病気の症状だからです。

それを責めても仕方ありません。「回復してない奴は仕方ないよね」と肩をすくめて、その件は終わりにするしかないのです。頭が下げられるようになってくれば、それだけ回復したね、と言われる仕組みです。

スピリチュアル(霊的)というと、なんだか超自然的な怪しげなものや、聖書の真髄みたいなものを想像するかもしれません。だからスピリチュアルなものを求める人は、聖書を読んだりします。けれど、スピリチャリティ(霊性)というのは、例えば人と人とのつながりです。それが霊性の本質なのかどうかは知りませんが、現象面から見えるのは人と人とのつながりです。

だから、スピリチュアル(霊的)に病んで症状を出している人は、人とのつながりが断ち切れていきます。その症状が例えば、「失礼なこと、わがままなことをやっておいて、後になっても謝りもせず、それを当然だと思っている」というわけです。確かにそういう人は、つきあってくれる人が次第に減ってしまいます。

ビッグブックには、霊的に病んだ人から傷を受けたとしても、病気だと思って許すしかないとあります。健康な人は、ビッグブックを読まずとも、そのことは分かっています。世の中には霊的に病んだ人との関係を断ち切るわけにいかず、付き合いを続けざるを得ない立場の人もいます。病んだ人というのは、周囲の人たちに「病気だから」という理由で許され続けているのです。(まあ、病気だからと意識はされていないかもしれませんが)。

ここの「ぶどう」の掲示板も霊的に病んだアル中さんたちが来るところです。だから、症状を出している人もいます。悪態をついて出て行ったヤツが、しばらく時間をおくと、しれっと戻ってきたりします。その時に、前回は失礼をしましたと頭を下げる人はなかなかいません。

例えば普通の職場でそんなことをやれば嫌われ、繰り返せばその職場にいられなくなるでしょう。友達づきあいもそうです。子供の遊びだって、わがままをやったあとは「ごめんなさい」を言わなければ、再び仲間には入れてもらえないものです。

アル中さんは「頭を下げたくないから(謝罪するのがイヤだから)もうあそこには行かない」ということを良くやります。オレはアイツらが嫌いだと言っているパターンは、たいてい謝罪から逃げ回っているだけです。そうやって、人とぶつかり続けて自由に動ける範囲を狭くし、苦しく生きているのがアル中さんです。ステップ8・9というのは、それを打破するステップでもあります。


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06月05日(土)
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