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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■その概念を他の依存に拡張する
昨日の続きです。
・渇望=アレルギー反応=身体の病気(の相)
・とらわれ=狂気=精神の病気(の相)
さて、この「渇望」と「とらわれ」というアディクション概念を理解すれば、対象をアルコール以外に広げることも可能です。アルコールをギャンブルや覚醒剤に置き換えてみても、まったく同じ図式が当てはまります。
だから、アルコールのためのAAのほかに、ギャンブルのためのGA、薬物のためのNAが存在するのは当たり前のことと言えます。AAのメンバーと、GA、NAのメンバーは「問題」を分かち合うことはできません。それぞれ依存の対象が違うからです。けれど、問題の「解決方法」=12ステップは同じなので、方法を分かち合うことは可能です。
(ビギナーは問題の違いに注目してしまい、解決方法の共通性に目が向きません。それが自分の問題から目をそらす原因となります。だから依存対象ごとにグループを分けるのは意味があると思います)
さて、ここからが本題です。これまでの話は、本題を理解するための前フリでした。
アルコール・薬物・ギャンブルの場合には、健康と病気の間の線引き(境界線)は明確です。アルコールなら酒を飲んでいる・飲んでいないの境目に線が引かれています。しかもその線引きは全員に共通で、僕だけ「一日缶ビール一本までなら断酒のうちね」ということはありません。断酒と飲酒の境界は全員共通です。
アルコールやギャンブルは完全にやめることができます。回復とは完全にやめ続けることです。コントロールを取り戻して、適度に楽しめるようになることではありません。
けれど、依存症によっては完全にやめることができないものもあります。例えば摂食障害の人は食べるのを完全にやめることはできません。買い物依存だからといって、一生買い物をしないわけにもいきません。
完全にやめることができない依存症の場合、コントロールを取り戻すことが回復なのでしょうか? そういう誤解が存在する気がします。僕もこのタイプの依存症に興味を持つまで、なんとなくコントロールを取り戻すのが回復だと誤解していました。
アルコール依存症の場合には、適度に飲める(節酒)ことはない。けれど、摂食障害の場合には適度に食べられるようになり、買い物依存なら適度な買い物が実現するのが回復です。それがあたかも失ったコントロールを取り戻したように見えてしまうわけです。
しかし、そうではありません。「完全にやめる」という点はすべての依存症に共通です。やめるというのは、健康と病気の境界線を踏み越えていかないということです。アルコールやギャンブルの場合は、その境界線が量がゼロのところに引かれているわけです。ゼロじゃないところに引かれている依存症の場合でも、線の向こう側に行っちゃダメという点は共通なのです。
さらに、線の引かれている場所が人によって違ったりするようです。例えば摂食障害は、最近は食べ物依存(food addiction)と呼ぶようですが、どこまでが健康な食事かは人によって違います。ある人は、砂糖を食べると過食おう吐が始まってしまうので、砂糖を使った料理は食べられないのだそうです。この場合砂糖を trigger food と言います。トリガーとは引き金という意味です。この人にとっての砂糖は、アル中にとっての最初の一杯の酒と同じです。カフェインがダメという人もいます。あるいは種類は関係なく量の問題で、御飯を茶碗2杯食べるとダメ。種類でも量でもなく食べる状況が問題だという人もいます。このように、境界線の位置は人によって違うのですが、その向こう側(例えば焼き肉食べ放題に行ってお腹一杯食べてくる)に行けないのは、共通だというわけです。
food plan とは、その人にとってどこまでが健康で安全な食事か示したものですが、これはスポンサーや施設のスタッフが決めてくれるのだそうです。食べ物依存からの回復にはぶり返しがつきものですが、これは境界線の場所が人によって違うために、food planの確定に試行錯誤が避けられないからではないかと思います(この部分は外野の勝手な想像)。
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06月03日(木)
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