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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■漢字の表記の問題
最近、「障害」を「障がい」と表記することが増えています。例えばハンディキャップを持った人々を表す言葉、障害者→障がい者というのがその一例です。
あるいは障碍という表記をする場合もあります。
これについては、このような説明がされています。もともと障害は障礙と表記した。「礙」の異字体の「碍」を用いて障碍とも表記した。ところが戦後の当用漢字表には「礙」も「碍」も入らなかったために、同音異字の「害」の字をあてた。近年になって障害を持つ当事者から「害」の字はイメージが悪いという意見が出たために、本来の表記である「障碍」あるいはひらがなで表記して「障がい」としている。
僕も説明が面倒なときには、この説明で済ませてしまっています。いくら同音だからといって、イメージの悪い「害」という字をあてるのはヒドい話だ、というわけです。
しかしこのストーリーには誤解も含まれています。当用漢字表が作られる前から「障害」という言葉は使われていました。碍という字は「さわり・さまたげ・さえぎり」という意味で、例えば電柱についている碍子は電線を通る電気が他へ流れ出ることを「さまたげて」います。そして「害」という字にも「さわり・さまたげ」という意味があります。障害と障碍は混用されていました。当用漢字表を境に障碍→障害と変化したわけではありません。
もう一つ、心身のハンディキャップに対して障害という言葉が一般化したのは、戦後1951年に施行された身体障害者福祉法で「障害者」という言葉が使われ出してからで、それ以前は「不具者」あるいは「癈疾者」という言葉が使われていました。現在では不具、廃疾は差別用語とされています。
つまり、障害者という表記は侮蔑や無頓着から生まれたものではなく、戦後の新しい時代、新しい意識を反映したものです。偏見を取り除こうという意識から「障害」という表記が一般化したわけです。
しかし時代が変われば人々の意識も変わります。今度は害の字が気に入らない、「障害も障碍もコンパチブルであるなら、これからは障碍を使えばいいじゃないか」、と言われれば、まったく反対する理由は見あたらないのです。
しかし「障がい」とひらがな表記にするのはいかがなものか。漢字が二種類あるからひらがなで統一してしまえ、というのも乱暴な話です。売春という言葉は春をひさぐ方だけを取り上げているので、買う方も取り上げて売買春という言葉を作ったのならわかります。しかし、これを「ばい春」と表記したらずいぶんマヌケです。
同じような問題で、子供→子どもという表記の変更があります。「供」という字が「従う」というイメージを思い起こさせるために、子供は大人に従うものだ=子供の権利を軽視する意識の現れであり好ましくないのでひらがな表記、という理屈のようです。
「とも」と読む漢字には、共・友・朋・伴・侶・供などありますが、いずれも「共」という一つの字を源としたものです。これらは「ひとつのグループに属する」という意味を持っています。そのグループの中の上下関係を規定する言葉ではありません。確かに「お供」という言葉に象徴されるように、「供」単独には従者という意味がありますが、他の漢字と組み合わせて言葉を作るときに「供」という字が従うという意味を含むわけではないのです。
そうしてみれば、「子供」→「子ども」に表記を改めろ、というのはほとんど難癖に等しい意見なのですが、すでにずいぶん一般化して法律の名前にもついています。「子ども」というひらがな混じりの表記に違和感が少ない理由を考えてみますと、小学校で「供」という漢字を習うのが6年生になってからなので、多くの小学生は「供」をひらがなにした「子ども」と書きます。私たちはそれを見慣れているのでしょう。元々「子ども|子供」という表記のゆれがあったために、子供→子どもは受け入れやすかったのだと思われます。
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03月31日(水)
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