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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■mil 原点回帰運動について(その4)
ここで日本ではなくアメリカの事情に目を転じます。

アメリカのAAは1990年代にメンバー数の減少を初めて経験しました。その事情についてはジョー・マキューの本の紹介に書いたので、ここでは簡単に済ませることにします。

AAのミーティングでは問題とその解決方法の経験が分かち合われます。問題とは例えば酒のこと、酒をやめて生きていく上でのトラブルです。解決方法は、そのトラブルを12ステップを使ってどう乗り越えたかです。当時のGrapevineの記事を読むと「誰も解決方法を話さず、問題ばかりを話し、みじめな気持ちを分かち合っている」と書かれています。二十世紀後半のAAは水で薄めたワインのように効き目が落ちていました。

ニューヨークのAAのオフィスには過去の文書がアーカイブされています。ワリー・Pはそのアーカイブを調査し、1940年代・50年代の成長期にAAがどのような姿をしていたかを明らかにしました。彼は当時のビギナー向けのミーティングとして、1時間のミーティング4回で12ステップすべてをこなすプログラムを復刻しそれを本にまとめました。
ビッグブックを教科書として使って「ステップを教える」ことは、実際初期のAAで行われて成果があったにもかかわらず、現在のAAメンバーにはそんな簡便な方法は受け入れがたかったのでしょう。12ステップは非常に難しくて時間がかかると信じていた人たちにとって、たった4時間で一通りステップができるのは衝撃的でした。当然それは批判の的となり、さらにワリー・PはAAの前身のオックスフォード・グループの原理を強調し、AAとは別団体を作ろうと画策していると非難されました。にもかかわらず、ワリー・Pの「バック・ツー・ベーシックス(基本に帰ろう)」は全米や海外に広がりました。

日本でもこれを試そうという動きが起こり、ワリーの本の翻訳が進められ2003年の秋に一泊二日で12ステップをこなすイベントの広報が配られました。これが予想以上にヒステリックな批判を浴びてしまうのです。僕もその騒ぎのせいでビッグブック・ムーブメントに巻き込まれたわけですが、その騒動は後年までムーブメント全体への後遺症として残ってしまいます。

「そんなインスタントなステップに効果はない」と断じる者もいれば、自分より先にステップを進める者がたくさん現れることへの恐怖を述べる者もいました。しかし、一番声が大きく影響が及んだのは「ワリーの本はAAの本ではないから、ワリー個人の解釈をAAの原理だとして広めてはならない」というAA純化主義の意見でした。

実は1980年代から90年代の日本のAAでは「AA純化運動」とも言うべき活動があり、「純粋にAAではないもの」の排除が行われました。それが治療施設マックとの分離であり、P神父が訳した各種の本の廃棄であり、バースディメダルなどの非公式化でした。その時代を経験した人によれば、何ごとにも行き過ぎがちなアルコホーリクのご多分に漏れず、「AAではないもの」に対してはかなり強権的な圧力が加わったようです。AAを本来のAAらしくという思想は良かったものの、その実施が政府的活動になってしまったのは当時のリーダーたちの誤りでした。そして後になって、ビッグブック・ムーブメントの人たちがそのとばっちりを受けることになったのです。

批判を浴びることにうんざりした人たちは、1年あまりでワリーのテキストを使うことをやめてしまいますが、そのオックスフォード・グループ譲りの「絶対性」を愛するメンバーは今でも確かに存在します。

さらに続きます。

11月30日(月)
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