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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■自分は神ではない
しかし、欲が強すぎるのも良くありません。今日は疲れているので早く帰って寝たいと思っている人が、「相手に悪く思われたくない」という理由で、相手の話につきあって帰宅が遅くなるのなら、それは暴走する承認欲求に振り回されていると言えます。そうして、その人は自分の必要を満たすことより、相手の欲求や必要を満たすことを優先してしまっています。度が過ぎれば辛い生き方にしかなりません。ずっと、その生き方を続けていれば、それが身に染みこんでしまい、「相手に悪く思われたくない」という動機からやっていることだとすら自覚できなくなるかも知れません。
共依存には4つのパターンがあると言いますが、服従のパターンはこうしてできあがるのです。支配的なパターンの人(人に何かを強制しようとする人)はエゴが強いとされます。では、服従のパターンの人はエゴが弱いのでしょうか? いや、そうではなく、支配的なパターンの人と同様に、強い欲望(強いエゴ)を持っているのです。
直接的に自分の欲求を他者に満たしてもらおうとするやり方に比べれば、他者の欲求を満たすことによって自分の欲求を満たそうとするのは、間接的で回りくどいやり方であるのですが、他者を利用して自分の欲望をかなえようとすることに変わりなく、どちらも同じようにエゴイスティックであると言えます。自己否認や自己評価の低さというパターンも同様です。
アルコホーリクだけでなく、ACや共依存の人たちも、同じように「他者は自分の欲求を満たすために存在している」という幼児的な生き方、自分を神と考える生き方に陥っているのです。アルコホーリクにも権勢的なタイプも入れば、追従的な人もいます。ACにも強迫的に自己実現しようとしている人もいれば、服従パターンの人もいます。
人は、支配タイプと服従タイプのどちらか一方ということはなく、たいてい両方の面を持っていて、場面ごとに使い分けています。外では服従的、家の中では支配的とか。AAの中では服従的な人が、ACのグループに行くと支配タイプに様変わりしたりして・・。家族のグループの中にも支配的な人はいっぱいいるし。限界まで我慢して爆発するタイプもいます。
服従タイプの人も、自らの強いエゴに支配され、神になっているのだ、という捉え方をすれば、生き方を変える突破口は見えてくるのじゃないでしょうか。
こうして見れば、12ステップというのは、人間に共通した問題(だけ)を扱っていることが見えてきます。だから僕は「○○向けの12ステップ」というバリエーションを作る必要は特に感じていないのです。
僕の考えでは、12ステップは必ずしも神を信じることを要求していません。ただ、自分が神でないということは認めなければならないし、神の役を演じる生き方は手放していかなければなりません。そうすれば、神という概念に対する拒否反応はなくなり、他者の持っている信仰にも寛容になれます。
12ステップが神という概念を使っていることがハードルを上げている、と考えている人もいるでしょうが、実際にステップに取り組む段になれば、そのことはなんら障害になりません。
ただ、どうしても神という概念を拒否する人たちもいます。でもなんと言うか、その人たちは宗教的概念を嫌っているのではなく、(それを口実に)自分が神の座に座り続けたいだけなんじゃないかという気がします。自分が生き方を変えるのではなく、周りの人が生き方を変えて自分の欲求をかなえてくれれば良いのだ、という考えなのではないかと。
その人たちでさえ、MMPIの「私は神である」という質問には「いいえ」と答えているのでしょうけど。
10月22日(火)
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