ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■信じることについて追加(長いよ)
まだ奥さんがいれば、の話ですが。意地を張らなければ奥さんに余計な苦労をかけることもなかったのに。最後まで自力解決を諦められずに、酒で死んでしまう人も多いのです。そういう人に比べれば、生きているうちに「諦め」ることができた人は良かったと言えます。

僕は自動車やパソコンを修理しようとしているときは、それに没頭します。なにしろ、動いてくれないと困るからです。修理に取り組んでいる間は、その時間にする予定だった仕事や趣味には取り組めません。本来やるべきことや、やりたいことがほったらかしになってしまいます。

アルコールでも同じです。自分の力で酒をやめようとしても、やがて飲むことに時間を費やす状態に戻り、入院したり、施設に入ったりしてまた時間を使います。その人が本来生きるべき人生が生きられなくなります。それだったらまだAAに時間を使うほうが、本来生きるべき人生が生きられます。

要するにステップ1というのは、壊れてしまった自分を自分では修理できないと認めることです。どこが壊れたかといえばアルコールに関する部分です。自分で修理できないと諦めたら、自動車やパソコンを修理業者にまかせることができます。アルコールも同じです。壊れてしまった自分を修理できる存在(自分より偉大な力)に委ねるのです。(ただその委ねる手順=ステップ3〜12が少々面倒なんだけどさ)。

あなた自身は最後まで自分の力で自分を修理したいと思うかも知れません。でもハイヤー・パワーがあなたを直してくれても、誰も困りはしませんよ。

 ・ ・ ・

さてステップ2の「信じる」に戻ります。ステップ2の「信じる」は、100%信じていることではなく、疑いが含まれています。

あなたが自動車やパソコンを修理に出すとき、実は100%修理できるとは思っていないはずです。時には電話がかかってきて「お預かりした品は修理不能です」と告げられることもあります。修理に出すときには、「直ると良いな」と期待しながらも、「ひょっとしたら修理できないかも知れない」という疑いも含まれているのです。100%信じていなくてもあなたは修理に出すでしょう。

「信じる」とはそのように疑いを含んだことなのです。人は時にはほとんどが疑いで占められていても、ほんの小さな可能性を信じて行動を起こすことがありあす。前にも例を挙げましたが、宝くじに当たる確率は極小ですが、人は宝くじを買うでしょう。行動を起こすのに、100%(あるいは100%近く)信じる必要はないのです。

(お陰様でAAは宝くじほど確率は悪くありません。いずれ翻訳して紹介しようと思いますが、AAの長期的な成功率はゆうに5割を越えているという論文があります)

さて、ステップ2では「自分を超えた大きな力」だとかハイヤー・パワーと呼ばれるものが、自分を修理してくれると信じるわけですが、当然そこには疑いが含まれています。自分は修理不能で回復できないかも知れない。それでも、修理してもらえる可能性を信じてみるしかありません。信じて行動を起こさなければ、壊れたままの自動車、壊れたままのパソコン、壊れたままの自分を目の前にして途方に暮れるしかないのですから。自動車やパソコン無しでも暮らしていけるかも知れませんが、自分無しでは人生が終わってしまいます。

さて、ステップ2では「自分を超えた大きな力」と言っています。「自分のを越えた大きな力」は実は二つあります。

一つはAA共同体です。AA共同体にはたくさんのAAグループがあり、たくさんのAAメンバーがいます。日本のAAではそれをよく「仲間の力」と呼んでいます。人の集まり(共同体)には力があるのです。

「私はAAのミーティング以外ではAAの本は読まない」という人がいます。その人が一人の時にAAの本を読まないのは本当でしょう。でも、AAのミーティングでは本を輪読することが多いので、その人もミーティングでは本を読むでしょう。これも一人ではできないことを、共同体が可能にする一例です。その人にとって、AA共同体は「自分を超えた大きな力」に間違いありません。


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09月02日(月)
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