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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■もちろん「底つき」は必要ですとも(その2)
少々遠回りのやり方に見えますが、実はそれが一番時間が早いのでしょう。アメリカのAAでは、AAに来なくなった人が再びAAに来る確率は高いという話です。日本のAAはどうでしょうか。もし、一度AAを離れた人が戻ってこない率が高いのであれば、それは私たちのミーティングやスポンサーシップが「病気の本質」から離れてしまい、渇望現象と強迫観念を伝えられなくなっているからだと考えられます。
ただ、発達障害を抱えた人の場合には、このような「情報を教えること+アルコールによる説得」がうまく機能せず、歯止めなく悪化する一方になる可能性もあるので、その見極めをしないといけませんが。
私たちがどうやってAAのメッセージを運んだら良いか、そのやり方もビッグブックに書いてあります。第7章「仲間と共に」は12番目のステップについての章ですが、p.132からp.133には、新しい人に渇望現象と強迫観念のことを伝えることについて書かれています。
これはビル・Wがドクター・ボブを手助けしたやり方と同じです。ドクター・ボブはすでにオックスフォード・グループのメンバーでしたから、ステップのやり方について、ビルに教えてもらう必要はありませんでした。ボブに必要だったのは、ステップ1の情報、渇望現象と強迫観念だけです。ニューヨークからやってきた素人のビルが、医者であるボブに病気についての情報をもたらしました。それによって、ボブはプログラムに取り組む意欲が与えられたのです。
なぜ私たちが飲酒にまつわる体験をミーティングで共有するのか。それは渇望現象と強迫観念の情報(つまりステップ1)を伝えるためです。酒にまつわることであっても、飲酒の武勇伝とか、自分がどんなに酷い酒飲みだったかしゃべれば良いというものではありません。渇望と強迫観念のことがちゃんと相手に伝わるように、自分の経験を整理して話す必要があります。
こうして整理してみれば、「底つき」が何であるか明らかです。底つきは、失うことではありません。底つきは社会の底辺に落ちることでもありません。底つきは、渇望現象と強迫観念という病気の本質を理解し、それが自分の飲酒体験に当てはまることを認めることです。つまり、底つきとはステップ1そのものです。
「AAの誰もが、まず底をつかなければならないというのはなぜだろうか。底つきを経験してからでないと、真剣にAAプログラムをやってみようと思う人はほとんどいない、というのが答えだ。なぜなら、AAの残りの十一ステップを実践することは、まだ飲んでいるアルコホーリクには夢想すらできない態度と行動を取り入れることだからだ。」(12&12 p.33)
底つきをしないと残りの11個のステップに取り組もうとしないからだと書かれています。これからも「底つき」がステップ1であることが分かります。そしてステップ1は決して何かを失うことを求めていません。
「底つき概念」はアディクションに関わる人たちの間に広がっていますが、おそらくその元はこの12&12のステップ1の部分でしょう。だとすれば、「底つき」はずいぶん誤解されて広がっていることになります。ビッグブックを読まずに12&12だけ読んでいれば、渇望現象と強迫観念のことは理解しづらいはずです。この雑記のエントリで見てきたように、12&12にもこの二つのことは簡単に触れられていますが、翻訳の用語の問題もあるし、そもそも説明が短すぎてこれだけで理解しろというのは無理です。
さらに、文中の「どん底のケース」(low-bottom case)と「底つき」が混同された結果、底つきとは失うことであるとか、社会の底辺に落ちるとか、死にかけることだ、という誤解が広がってしまったのではないでしょうか。だとするなら、それは日本のAAが12&12ばかり使って来た結果です。その誤解のおかげで、いったいどれだけ多くのアルコホーリクが無駄に苦しんで死んでいったことか。それを思うと切なくなります。
いま、アディクション業界全体に「底つき不要論」が広がっています。しかしその底つきとは、誤解に基づいたどん底体験を指しており、失う体験の必要性が否定されているだけのことです。ステップ1の必要性を否定しているわけではないので、「底つき不要論」と12&12の文章に何ら齟齬はありません。
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06月14日(金)
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