ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
[963973hit]

■ありのまま願望の落とし穴
では、この「ありのままの私」が周囲に受け入れられる可能性があるかと言えば、答えはノーだと思います。「ありのままの私」とは社会性を伴わないむき出しの本能であり、そのままで行動すればわがままで未熟な存在と見なされてしまうため、他者と衝突することになり二次障害のうつでも引き起こすのがせいぜいだと考えられます。

だからと言って、レイヤー数を増やそう、とか思わずに、自分があまり無理せず維持できるレイヤーを維持しつつ、「変人枠」を活用して社会の中に活路を求めなさい、という話でありましょう。

ここで話は「アスペルガーライフblog」から離れます。

なぜ発達障害の人がAC(アダルトチルドレン)の文化にあこがれるのだろうか、それは彼らのシングルレイヤー特性が理由なのではないか、という話をします。

アダルトチルドレン(AC)とは、アルコール依存症の親の元で育った子(ただし成人したもの)の中に、社会に適応しながらも心の中に大きな不全感を持った人たちが目立ったことから生まれた概念です。

人間は誰しも「家庭」という一番小さな社会の中で「社会性」を子供の頃に身につけ始めます。それが社会性の一番の基盤をなします。しかし、アルコール依存症の親がいる家庭の場合、その「一番小さな社会」は世間のスタンダードとは大きく外れた基準がまかり通っています(つまり歪んでいる)。子供はその家庭に適応しなければ生き残れないので、その家庭の(歪んだ)スタンダードを身につけつつ大人になります。しかし、その社会性は、その子が大人になって出ていった一般社会では通用しません。そこで、適応に齟齬をきたしたり、過剰適応に至った結果、大きな不全感を抱くことになります。

AC概念は定型発達者を前提としているでしょう。社会性イコール前述の多層(レイヤー)構造です。ただ、そのレイヤーが現実に適していない、ということです。

ACは新しい社会性を身につける必要がある(その点では回復の手法はアル中と変わりない)のですが、そのためには、古い役に立たなくなったレイヤーを捨て、「ありのままの自分」をいったんは明確に意識する必要があるのだと思います。

赤子のような本能むき出しの自分を意識しつつ、新たな社会性を身につけていく(現実生活に適した多層構造を再獲得する)のが、ACの回復であり、まさに「回復と言うより成長」なのでしょう。ACというのは、分厚いレイヤーを構築する能力が元々あるわけですから、再獲得にも見込みがあります。

しかしここにシングルレイヤーの人が乗っかってしまうとどうなるか。彼らは「ありのままの自分を取り戻す」というアプローチに魅力を感じます。なぜならそれは単層レイヤーで社会適応に苦労してきた彼らにとって魅力的な出口に見えるだろうからです。

しかし、分厚いレイヤーを獲得する能力を持った元来のACとは違って、この自称ACのシングルレイヤーの人たちは、本能むき出しの状態に留まってしまうか、あるいはせいぜい再獲得できてシングルレイヤーに戻るぐらいです。結局「ありのままの自分を取り戻す」アプローチは、彼らにとって出口ではなく、むしろ社会性を減じてひきこもりや無業にしてしまう落とし穴になっているのじゃないでしょうか。

AC概念がアルコール依存症の子供に限られていた時代は、このようなミスマッチは少なかったのでしょうが、概念が機能不全家庭の子供にまで拡大されたことが、AC誤認を可能にしたと言えます。

それが僕がAC概念を使わなくなった理由の一つです。

ではシングルレイヤーの人には「ありのまま」アプローチの代わりにどんなアプローチが考えられるのか。僕はそんなに経験があるわけじゃありませんが、一つのことは言えると思います。

それは、上に書いたようにシングルレイヤーの人にも当然に共存の本能があることです。彼らは他者からの承認を強く求めています(その希求がありのまま指向となって現れているとも言える)。その承認欲求を満たすことが彼らが自己実現へ近づく道なのだと考えます。


[5]続きを読む

04月22日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る