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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■自分が助かりたければ・・・
もちろんAAを続けていても飲んでしまう人もいるし、離れても飲まないでいられる人もいます。だから一概には言えないのですが、概ねは「自分が助かりたかったら、人を助ける側になるのが良い」ということなのでしょう。

AAは自助グループだと言われます。self help とは自分で自分を助けるという意味です。これに対して「AAは self help ではない。help other なんだ」と言った人がいました。人を助けるのがAAです。私たちは人を助けることを通じて、自分を助けていきます。お互いに助け合うのがAAだ、とも言えます。

飲んでいた頃の私たちは、自分の苦しみや悩みにしか関心がありませんでした。俺のこの苦しみを分かって欲しい。私のこの悩みをどうしたらいいのか、ということばかり考えていました。つまるところ「自分のことしか関心がない」という状態だったアルコホーリクが、他の人を助けるために、他の人の悩みや苦しみに目を向けていく。どうやったら相手が背負っている荷物を軽くすることができるか。そのために自分にできることはないか。自己中心的なアルコホーリクが回復するためには、そういうことを考え、行動していく必要があるのだと思います。

私たちは人と関わる時に特に意固地になった、と12&12に書かれています(p.72)。人と関わることが苦手なアルコホーリクが人を助けようとするのだから、そううまく行くはずがありません。相手がこちらの思う通りに動いてくれたら物事はスムーズに運ぶのでしょうが、決してそうなりません。「助けてくれてありがとう」などと感謝されることも、まずないと思ったほうがよい。人を助ける活動の中で、私たちは(相手のではなく)自分の欠点に向き合わざるを得なくなります。

また、回復の道具である12ステップを手渡そうにも、自分がそれを携えていなければ、手渡すことができない。その当たり前のことにも気付いていきます。

人を助けようとしてもきっと失敗するでしょう。AAを始めたビル・Wでさえ、最初の6人には失敗したと書いています(AA p.139)。ドクター・ボブは7人目以降ということです。もしビルが最初の3人目ぐらいで諦めてやめていたら、AAは始まらなかったことになります。だから簡単に諦めるべきではありませんよね。

人のために活動すると、自分のことは少し犠牲にせざるを得ません。どれだけ自己犠牲が払えるかは人それぞれです。小さなことであっても、人の役に立つこともあります。

例えば、AAミーティングは回復が始まるところですが、参加者がゼロでは成り立たないのですから、ミーティングに参加するだけでも人助けになります。会場への行き帰りを含めれば少なくとも3時間ぐらいの時間は要します。ミーティングに行かなければ、その3時間は自分の好きに使えるのですから、毎週欠かさずその時間をミーティングに費やすのも「小さな自己犠牲」と言えるのではないでしょうか。

また、献金箱に数百円のお金を入れるのも、本来自分の好きに使えた金を人のために手放すのですから、小さな自己犠牲と言えるでしょう。AAはそのお金の積み重ねで維持されていることをお忘れなく。

もう少しできると思ったら、会場の椅子を並べたり掃除を手伝っても良いし、司会役を務めても良いでしょう。だんだんにできることは増えていくはずです。その中で、頑張っているのに誰も褒めて(認めて)くれなかったとか、自分だけ負担が重い気がするとか、いろいろ考え、その中で自分の様々な欠点と向き合っていくことになるでしょう。

ずっと続けても、結局誰も助けることができない・・ってこともあるかもしれません。でも良いではありませんか。誰も助けることができなかったとしても、「自分という一人の人間を助けることはできた」はずなのですから。その目的でAAに来たのじゃありませんでしたっけ?(尊敬や賞賛や感謝を獲得するためではないでしょう)。

だから、自分が助かりたければ、助ける側に回ることです。さあ勇気を。

03月14日(木)
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