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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■助けにくい人たち
じゃあ、酒をやめたばかりのアル中に、助けは要らないかと尋ねてみれば、どんな答えが返ってくるでしょう。「大丈夫です。酒は一人でやめられます」。これが援助希求能力の低さです。しらふになっても全然変わっていません。助けにくい、助けづらい人たちなのです。
(松本先生の話はこんな話じゃありませんでしたよ、念のため)。
AAメンバーである僕らも、酒はやめているとは言え、まだまだ幼稚で過敏なところは抜けきっていません。だから、相手が深刻なアルコールの問題を抱えているのに、それを軽く見ているのに出会うと、イライラしてしまいます。ついつい、それを指摘し、アドバイスし、時には説教をかましたくなります。でも、相手はそれを受け入れる状態にないってことを忘れてはいけません。
とは言うものの、時には具体的なアドバイスがなければ、前に進まないこともたくさんあります。僕らはアドバイスを与えるときは、スポンサーシップという一対一の関係を結びます。スポンサーはスポンシーのソブラエティの実現に積極的に関わっていきます。スポンサーをやってみるとわかりますが、スポンシーは酒を飲んでしまったり、AAをやめてしまったり、時には死んでしまうこともあります。
スポンシーが飲んだときに「もっと別のやり方をしていれば」と思ったり、死なれたときに「あいつの死には俺にも責任があるんじゃないだろうか」と悩まない人はいません。だからスポンサーは相手のことを真剣に考えてアドバイスをします。それは、イライラを解消するために、つい口をついて出てしまう皮肉とは180度反対のものです。
お分かりでしょうか。僕らは新しい人たちに「教え」たり「導い」たりしたくなってしまいます。けれど、相手の準備が整っていないうちに、そんなことをしても無駄なばかりか、時には有害です。それ以前に、相手に自分の背中を見せてあげなくちゃなりません。つまり「共通する問題」を分かち合うのです。
僕らはAAにやってきたときに、どのようにして仲間に助けられたか、しばしば忘れてしまいます。人というのは不思議なもので、ずっと昔から今の自分だったような気がしてしまうものです。でも、そうじゃなかったはずです。もっとヒドい状態だったはずです。それを忘れているから、新しい人に余計なことが言えるのです。
飲んでいた頃の話ができなくなったら、AAメンバーとして新しい人の手助けをする能力を失ったことを意味します。今日起きたことや、今週起きたことをミーティングで話している場合じゃありません。そういう人は自分にしか関心がありません。
僕らが相手にしているのは援助希求能力の低い人たち、助けにくい人たちであることを忘れてはいけません。僕ら自身がかつてはそうだったことを思い出しましょう。そんな僕らに対して、先ゆく仲間たちは、辛抱強く僕らが分かるまで、「共通の問題」について分かち合ってくれたのではありませんでしたか。それとも、もう忘れてしまいましたか。
かつては目の前の相手と同じだったという事実、それを分かち合う言葉こそが、医師にもカウンセラーにも持てない、当事者たる僕らにだけ与えられた特別な力であることを忘れないで。
だから僕らは、相手を手助けしようとするときに、飲んでいた頃の自分はどうだったか、という話をすることから始めるのです。12番目のステップとはそうやってやるものです。物事には順番があり、まず最初に問題について分かち合うのです。相手がいつ背中のほくろに気がついてくれるか。そのタイミングを知っているのは神様だけです。あなたが神様にかわってそのタイミングを決めてはいけません。
そういう説教臭い話をミーティングでしたのです。
12月20日(火)
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