ID:19200
たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■豊川一家殺傷事件について
必要であれば入院治療を経た上で、自立支援の福祉施設で生活訓練を行い、生活自立を目指すことが正しい対応でしょう。おそらくは小学校・中学校時代は普通学級だったのでしょうが、特別支援学級のほうがふさわしかったのかもしれません。

第一審では、検察側が殺意と完全な責任能力を主張して無期懲役を求刑。弁護側は、けがをさせるつもりで殺意はなく、責任能力は限定的で心神耗弱状態だったと主張しました。判決では完全な責任能力を認める一方で、「誰にも障害に気付いてもらえず、支援を受けられなかった。家族の行為が結果的に被告を追い詰めた」という事情を酌み、無期懲役を選びませんでした。その量刑が相応しいかどうか、僕にはわかりません。

皮肉なことに、この長男は凄惨な事件を起こすことで、障害を見つけてもらい、支援を受ける見通しが立ちました。あまりにも遅すぎる発覚、遅すぎる支援ではありましたが。

アディクションの世界にいる僕らはこの事件からどんな教訓を読み取ればいいのでしょうか。

一つは、××にのめり込んでいれば××依存症、という単純な図式を捨てることです(例えばパチンコのめり込んでいればギャンブル依存症とか)。人が何かにハマるのには様々な理由があります。アディクションである場合もあれば、違うこともあります。そして違っているのに、アディクションの図式を当てはめた支援を行うと、本人のためにも、家族のためにもなりません。

もうひとつは、そろそろイネイブリング理論は有効性を疑われるべきだろうということです。少なくとも単純に手助けをやめれば良いとは言えなくなっているのではないでしょうか。最近の新しいアディクション治療では、周囲の関与を求める傾向になっています。

さらにもう一つ。家族にも支援が必要となる可能性です。両親の二十数万円の収入を長男が管理したと聞けば、暴力によって家族を支配していたのだろうと想像してしまいます。しかし実は両親が金銭管理が苦手で、数年前より長男に管理をまかせており、ATMを操作させるために父親が長男を銀行に連れて行くこともあったとされています。両親にも援助が必要だったわけです。

小学校時代の長男は学校ではしゃべらず、イジメやからかいの対象にされ、家庭での虐待やネグレクトをうかがわせるエピソードもあります。中学になるとゲームやパソコンに熱中。卒業後は菓子製造工場でパンを包装する単純作業を黙々とこなし、働きぶりを評価されたものの、1年後に後輩たちが入社してくると指導ができずに仕事を辞めてしまいました。その後見つけた仕事は、最初に30万円を支払うと仕事を紹介してくれるという詐欺に近いもの。それに失敗したことが、社会に背を向けてひきこもりを選ぶきっかけになりました。

どこかで支援が入っていれば事件は防げたように思います。もちろんその支援は、ネット依存症や買い物依存症という視点からのものではないはずです。

12月08日(木)
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