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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■趣味と回復
先週末土曜日は、関西アルコール関連問題学会の京都大会で「アディクションと発達障がい」という分科会に話題提供者として出席していました。なぜ僕ごときが呼ばれるかと言えば、アディクションと発達障害の関係について取り組んでいる人が全国的にまだまだ少ないからに他なりません。
質疑応答の時間に、子供の発達障害を扱っている人が質問をされていました。子供はアディクションにはなるとは思えないので、発達障害の情報を求めに来られたのでしょう。その「少しでも多くの情報が欲しい」という気持ちが、僕にも分かるようになってきました。
アディクションからの回復には様々な手段が提供されていますが、結局一つのことを目指しているように思われます。断酒会のひたすら酒害体験を話すことでも、AAの12ステップでも、アミティの手法でも、どれも自己洞察の深まりこそが回復という点は共通です。目指すことが一つならば、いろんな手段に手を出すより、一つのやり方に習熟するほうが明らかに良いです。
ところが発達障害というのは千差万別です。そりゃ診断名はアスペルガーだADHDだLDだと分かれていますが、抱えている特性(能力の凸凹)は人それぞれで、別個の対応をしなくてはなりません。個別対応、個別支援が合い言葉になります。目の前の人にどんな手段が合うかを考えるためには、たくさんの情報に触れる必要が生じてきます。
その分科会で リカバリースペース みーる の取り組みが紹介されていました。みーるはアディクションの人も、発達障害の人もいる通所型の施設です。興味深かったのは、「べてるの家」の当事者研究の手法を取り入れていることです。
当事者研究については活字でしか知らないので、あまり詳しく説明できないのですが、自分で自分のことを(つまり当事者が)研究するという手法です。自分の抱えている困難を自分で解明し、その困難(病気)に自分で名前を付け、ホワイトボードなどを使って自己開示し、どうやってその困難を乗り越えていくか仲間からの提案を受け話し合いながら、解決策を見いだしていく・・というやり方です。生活上の困難という問題に着目したとき、その人の医学的な病名(統合失調症とか発達障害とかアディクションとか)はもはや意味をなさなくなります。
そのみーるのスタッフの山崎さんという方との雑談の中で、「アスペルガーの人は、孤立を望んでいるように見えて、実は内面は淋しくて、人との関わりを望んでいるんですよね」という話ですこし盛り上がりました。人と触れ合いたいのに、触れ合うことが苦手でもあることが彼らのディレンマです。淋しさゆえに人の集まるところに出かけていき、でも人と一緒にいても触れ合った気がしない不全感があり、精神的に疲れて帰ってきて「もう二度と行きたくない」と後悔しつつ、でも淋しいからしばらくするとまた行きたくなる、というサイクルを繰り返しているように観察されるのです。
淋しくても一人でいることを選ぶ人もいるでしょう。疲れても人と関わることを望む人もいるでしょう。どの立ち位置を選ぶかは、その人の人生の選択と言えるのかも知れません。
ただ発達障害の人には一人で楽しめる趣味を持つことは役に立つと考えています。趣味の中には人数が集まらないとできないものもありますが、一人でできる趣味もたくさんあります。山へ登るのも、魚を釣るのも、写真や絵も、スポーツ観戦や観劇や映画鑑賞、ジムで体を動かすのも、泳ぐのも良しです。定型発達の人は人に気を遣い遣われることが心の疲れを癒しますが、発達障害の人は気を遣ったり遣われたりする場でかえって疲れしてしまうことが多いのです(特に自閉圏の人は)。一人で楽しめることを持つのが大切です。
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12月06日(火)
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