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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■どこから手を付けるべきか(その3)
しかし、別種の障害があります。例えばお金の管理ができない。食料品や服の買い物ができない。ゴミの片づけができない。人に騙されやすい。困ったときに誰かに相談することができない・・などなど、「生活障害」に焦点をあてた支援がなければ、こういう人たちが社会的に自立して生活していくのは困難です。

障害者手帳や療育手帳を取って障害者枠での就労を目指すのが必ずしも正解とは限らないのでしょうが、そうでもしなければ受けられる福祉がないのが実情です。国は福祉予算を削減することばかり考えず、こうした人たちに適切な援助を提供して、就労自立に結びつけ、タックスペイヤーとしていくことも考えて欲しいものです。

(先日リカバリーパレードにも登場した)森川すいめい医師が調査したところ、ホームレスの3割に知的障害が認められたというレポートがありました。障害を抱えた人が社会の底辺に沈むのも「自己責任」なら、そこからはい上がるのも「自己責任」と社会が捉えていることがうかがえます。

先日、関東の某ドヤ街で訪問看護をやっている人たちのお話しをうかがいました。その人たちのやっていることは、前述の福祉事務所の話と同じです。お金を持たせておくと全部酒を飲んでしまう人たちからお金を預かり、毎日少しずつ渡したり、タバコを買って一箱ずつ渡したり。その話には「私たちのやっていることは、これでいいのか」という悩みも含まれていました。相手の人権を侵害している気持ちになってしまうのでしょう。

だから僕は、現実的にはそれしかないし、支持するというお話しをしました。もちろん、やっていることは問題の発生を防いでいるだけで、解決には至っていないし、それが訪問看護という枠組みの中でやるべきことだとは思えません。そこを問題として取り上げるよりも、仕事の枠組みの中で、できることをやっている姿勢に共感を表したかったのです。

気になったのは、アディクションを専門としているという人たちが、一緒に話を聞きながらも、知的障害という観点を持っていなさそうだったことです。

障害、とくに知能の問題はデリケートなものです。誰だって(これを読んでいるあなただって)知能検査を受けさせられて、挙げ句に「あなたは知能が低いですね」などと言われたくないでしょう。しかしながら、社会と個人の関係が変化するに連れて、どこまでを障害とするかの線引きも一緒に変動します。障害者というのは一種のレッテルであり、それを相手に張るのは「可哀想」と感じてしまうのは無理もありません。しかし、障害者という立場を手に入れることで、安定した就労に結びつき、その人らしく生きていけるようになった事例も紹介されています。

ことはアルコールに限りません。薬物依存でも、ギャンブル依存でも、はたまたアダルト・チルドレンの問題でも同じ事です。

アディクションに関わる人は、なかなかうまくいかない人が何らかの障害を抱えているのかも知れない、という観点を忘れずに持つようにしてほしいものです。その人の生活上の障害になっているのは何か。それがアディクションそのものなのか、別の問題が引き金となっているのか。そこを見極めることも大切です。

10月13日(木)
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