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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■ふたたび心の理論
定型発達者にとって見れば、「人の気持ちを読む」ことは必ずしも知的作業ではありません。「空気が読める・読めない」ということが挙げられていますが、この場合の空気(雰囲気)とは圧力のようなものです。例えば、会議で延々一つのテーマについて話し合って、もうみんながウンザリしてきている時。そろそろ結論を出したい(それが最善の結論でなくても)。もはや新しい視点や意見など歓迎しない。そこで「もう何を言っても無駄だし、言わない方が良い」と感じるためには、何も知的な作業は要りません。相手の顔の表情や声のトーンが雄弁に物語っているからです。この時、雰囲気とはまさに「圧力」です。

これをASの人は知的作業、つまり考えることによって推理しているのではないか。それは幼い頃から獲得された能力なので、半ば無意識に行われており、推理しているとは本人も自覚していないのかもしれません。そしてその能力を「これが人の心の読み方だ」と思っているのではないか、というのが僕の考えです。

それが知的作業であるならば、知能の高低と関係あるはずです。
社会性の障害が重くないアスペルガーやPDDNOSの人で、知的に高く、社会適応に意欲的な人であれば、この代替能力を磨いて自覚なく社会にとけ込んでいることは十分考えられます。しかし、それは本当の Perspective Taking とは違う作業なので、より濃い人付き合いを求めるほどに「疲れ」を招きます。また、なまじ能力が高いだけに、より深刻なシチュエーションで過ちを犯します。

(四輪駆動車は普通の車より困難な場所で立ち往生する)。

その結果、人間不信に陥ったり、意欲を失いうつになったり、激しく傷ついたりしているのではないか。

ASの人たちは寂しさを抱えた人たちです。寂しいからこそ人との触れあいを求めるものの、人付き合いは(知的作業を伴うので)疲れるし、時に理解できない人間関係のトラブルに巻き込まれてうんざりし、やっぱり一人がいいと思うものの、一人は寂しい(最初に戻る)。

ASの人たちは自分に能力がないことにまるで自覚がない・・それが悲劇の原因の一つではないかと思うようになりました。

類似例を挙げます。アルコール依存症の人は、酒を正常に飲む能力を失った人たちです。しかし、教えられるまでは、もう正常に飲めないという自覚がありません(僕もそうでした)。能力がないのに、正常に飲もうと要らぬ努力を重ねているうちは、悲劇が増えるばかりです。「君にはその能力はないよ」と教えられたとき、酒をやめる方への努力が始められ、解決へと向かいます。

ASの人が「あなたのその能力は普通の人とは違うし、限界もある」と指摘されればショックかも知れません。しかし、それによって悲劇を防ぐこともできるし、代替能力をさらに育てる方向へと向かえる。そう考えます。

01月25日(火)
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