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たったひとつの冴えないやりかた
by アル中のひいらぎ
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■AAの無名性について
アル中のリーダーになったところで、世間的なうまみはないんじゃないか、と思うかも知れません。けれど、自助グループではないものの、ダルクの近藤代表を見れば、テレビや新聞雑誌への露出がとても多いことに気づかれるでしょう。本を書いて賞も得ています(サインもらいました)。もちろんダルクはAAでもNAでもないので、そのことに何の問題もありません。
けれど、AAはそういうことをしません。有名人を作り、その人にAAを代弁し情報発信してもらう戦略は採りません。なぜなら初期の頃に、それをやってさんざん失敗したからです。
つまり、AAを一生懸命やっても世間的な賞賛は手に入らない。無名性とは自己犠牲の精神であり、そこに回復や成長があります。それはまた、ハイヤーパワー(神)の前でのメンバーの平等を意味します。
であるからこそ、AAメンバーであることを明らかにして、インターネットというメディアを使って情報発信している僕には、AAの中で風当たりが強いことがあります。「彼はネットでのセレブリティ(有名人)である」という批判をもろに受けます。無名性や自己犠牲の精神に反しているというわけです。
もちろん、無名性について決められた原則、メディアでは本名や顔写真を出さない、に従っていますし、これを職業として金銭を得ているわけでもないので、多くのメンバーは好意的とまでは言わないまでも、無関心中立でいてくれてます。情報発信の少ないAAにとって貴重だと励ましてくれる人もいます。人が僕をどう評価するか、それも僕には力の及ばないことです。
AAに来たばかりの人は、恐れと不安で一杯であり、自分のことはなるべく知られたくないと思っています。人からマイナスの評価を受けることを過度に恐れており、うわさ話に敏感になっています。プライバシーの漏洩に敏感なのではなく、マイナスの評価への恐怖があるのです。
僕らがその人たちに「大丈夫、心配いらないよ」と言ってあげられるのは、AAにアノニミティ(無名性)があるから「ではなく」、僕ら自身がAAに来たときに同じように感じていたからこそ、その不安に共感し、思いやりを持つことができるからです。
そのような配慮を示せるほど余裕にある人ばかりがAAにいるわけではありません。回復途上の人たちもいます(ある意味メンバー全員が回復途上とも言えますが、それは別の話)。AAは回復したメンバーだけで構成されることは永遠にない、常に未完成であり続ける団体です。そうである以上、プライバシーのことで常に傷つく人が出てきてしまう。しかし回復した人たちばかりの集まりになったら、それはもうAAではありません。その逆説が「AAらしさ」でもあります。
02月27日(土)
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