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頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■予備校時代(3)
この頃から中原中也に傾倒していった。
中也の年表を読んでいくと、彼も文学にのめり込み学校の成績ががた落ちになっていった、と書いてあった。
単純なぼくは「おれと同じやん」と、中也と同じ道をたどっている自分を誇らしげに思っていた。
中也、中也の毎日だった。

中也のどこに傾倒していったのか?
詩、それだけです。(生き方などはあまり参考にはならなかった)
ぼくは予備校時代まで、詩は作っていたものの、人の詩集なんて読んだことがなかった。
詩を作り始めたのは高校の頃からで、吉田拓郎の歌から入った。
その後ボブ・ディランに走り、ディランのわけのわからない詩を真似ていた。
無理矢理韻を踏ませたり、内容が突然飛んだりで、今読んでもよくわからない。(そういえば、ディランがあるインタビューで「ぼくの詩はでたらめです」と言っていたのを本で読んだことがある。)
詩を読むとなるとチンプンカンプンだった。

これはすべて現国のせいだと思っている。
だいたい詩の鑑賞というのは、読む人それぞれで感じ方が違うのであって、決まった答なんかあるはずもない。
それを重箱の隅をつつくように、「この言葉は何を象徴しているか?」とか「作者の意図するものは何か?」なんてやるものだから、暗号解読みたいな読み方になってしまう。
ということで、詩を作るのは好きだが、読むのは嫌いという状態に陥っていた。
その状態を救ってくれたのが中也の詩だった。

予備校帰りに本屋に立ち寄った時、中原中也という変な名前が気になり、その本を手にとってみた。
『朝の歌』や『臨終』という教科書に出てくるような作品で始まっていたせいもあり、相変わらずぼくは、―「この言葉は何を象徴しているか?」読み― をやっていた。
うんざりしてページをめくっていたら、『頑是ない歌』他数編に出会った。
暗号解読なんかとは程遠い詩だった。
「愚痴じゃないか。愚痴を詩の形に並べただけだ。こういう詩もあるんだ。これは面白い」とぼくはその本を購入し、それ以来中也への傾倒が始まった。
自ずと自分の作風も変わっていき、この長い浪人時代が終わるまで、ずっと愚痴ばかり書いていた。
投稿もこの頃から始めたが、当時のぼくの詩を読んだ人は、ぼくの愚痴を読んだことになる。
10月05日(月)
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