ID:1488
頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■予備校時代(2)
しかし、やはり大学には合格しなかった。
母は「いつも勉強せんでギターばかり弾いとるけ落ちるんよ」と言って、何も同情しなかった。
結局、予備校に通うことになった。
が、ここでも勉強しなかった。
朝は遅刻し、昼飯を食ったらすぐ帰る生活が始まった。
遅刻は毎日で、予備校とは直接関係のない清掃のおっさんからも顔を覚えられ、「おう、また遅刻か」と言われるようになった。

授業にも実が入らず、詩を作ったり歌をうたったりしていた。
第一回目の公開模試の時だったと思うが、、数学がまったくわからず、時間がきても白紙状態だったことがある。
『どうせ白紙なんやけ、出さんでもいいやろ』と思い、答案用紙をくしゃくしゃにして家に持って帰った。
その夜、担任から「数学の答案用紙が出てないけど、どうしたんか?」という電話があった。
「はあ、全然わからんかったけ、持って帰りました」と答えると、担任はあきれた声で「はあ、そうですか」と言って、電話を切った。
翌日、いつものように遅刻して予備校に行ったぼくは、教室のドアを開くなり大爆笑の出迎えを受けた。
よく見ると担任がぼくのほうを指差しニヤニヤしている。
後で友人に「何があったんだ?」と聞くと、「担任が『昨日の模試で、数学がわからんと言って、答案を出さずに帰った奴がおる。白紙でも答案は出すように』と言った時にお前が入ってきた。そこで担任が『こいつです』と言ったので大爆笑になった」ということだった。

予備校時代はよく本を読んでいた。
そのおかげかどうかはわからないが、国語が異常によく、偏差値が東大の合格ラインに達していた。
しかし、英語と数学が最低の偏差値で、この成績で入れる大学なんてなかった。
他の教科は日本史がかろうじて平均以上だったぐらいだ。
勉強しないくせにこの結果を見て「おれには国立文系は合ってない!」と勝手に決めつけ、教科の少ない私立文系に移籍した。
結果は同じで、ここでも勉強しなかった。
10月04日(日)
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