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頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■歴史のお話
ごく一部の人からだが、「最近、歴史物を書かないですね」と言われる。
そういう時、決まってぼくは「そうですね。最近書いてないですね。書きたいとは思ってるんですけど…」と答えている。
そう、書きたいとは思っているのだが、いつもいつも歴史に興味があるわけではない。
それに、この日記の元来のテーマは「その日、ぼくに書けること」である。
だから、戦争のことを書いた翌日に、ラーメンやお好み焼きのことを書いたりするのだ。

初めて歴史に興味を持ったのは、小学生の頃である。
その頃から、日露戦争については強い関心を持っていた。
日本海海戦の舞台は玄界灘だったし、その戦争を見据えて作られたのが官営八幡製鉄所だったから、特に身近に感じたのだろう。
その後、武道を始めた関係で、武士道に興味を抱くようになり、その時代の歴史に興味が移っていく。

が、学生の頃に、興味を持って歴史を勉強したのはそこまでである。
それ以降は、受験のための歴史勉強に変わったので、年号などを覚えるのに精を出していた。
「仏教伝来ゴザンパイ(538年)」
「ナクヨうぐいす平安京(794年)」
「イイクニ作ろう鎌倉幕府(1192年)」
「イクサイやだよ満州事変(1931年)」
アホらしい。
これでは何も歴史が見えてこないじゃないか。
今考えると、よくこれで「ぼくは日本史が好きです」と言えたものだ。
これだと、日本史が好きというよりも、年号の語呂合わせが好きだとしか思えない。

社会に出てから、しばらく日本史のことを忘れていた。
興味が中国に行っていたのだ。
『史記』『十八史略』『三国志』などの正史、『項羽と劉邦』『三国志演義』などの歴史小説を、片っ端から読みあさっていた。
その頃は、「中国人というのは何と偉大なんだ。それに比べて日本人は…」などと思っていたものだ。

しばらくして、その熱も冷めてしまう。
ある時、江戸時代のことを書いた『あべせで用心』というマンガに出会ったのだ。
それから江戸期に興味が移った。
その勉強で知り得たこと。
それは、ぼくが思っていた以上に、江戸時代というのは進んでいた、ということである。
西洋に後れをとっていたとばかり思っていた日本が、その時代、数多くの項目で西洋をしのいでいたという事実がわかったのだ。
それまでぼくが知っていたものとは違う、江戸時代がそこにはあった。
これは嬉しかった。
何となく、日本人というのに誇りを持てるようになったような気がした。

その後、あるレーザーディスクに出会った。
パイオニアLDCから発売された『昭和史』全10巻である。
それまでは、戦争に負けたという負い目もあって、何となく避けていた昭和史だったが、そのレーザーディスクを見てから、かなり強い興味を抱くことになった。
それから、ぼくは昭和史にはまった。
書棚がいっぱいになるほどの本を買い込み、そして読みあさった。
それによって、数々の『歴史の嘘』を知ることになる。
政府主導で行われたというのが定説になっている対米戦争だが、実は世論が政府を動かしていたということや、こちらから仕掛けたと習ったのだが、実はアメリカにはめられていたとか、南京虐殺の嘘、従軍慰安婦の嘘、嘘、嘘、嘘のオンパレードである。
それらを知るにつれ、ぼくは日本人としての誇りを強く持つようになった。
もはや、「中国人というのは何と偉大なんだ。それに比べて日本人は…」などと思うようなことはなくなった。
歴史でも何でも、嘘を教えたらだめである。
そんなことをすると、日本人としての誇りが持てなくなる。
このぼくがいい例である。

さて、下の文章を読んでいただきたい。

1895年
日清戦争の講和条約である下関条約で、日本は台湾、澎湖列島とともに、中国の中央部に絶大な戦略的位置を占める遼東半島を中国に割譲させた。これに対し、ロシア、ドイツ、フランス三国公使が外務省を訪れ、遼東半島を日本が所有することは、清国の首府を危うくし、朝鮮の独立を有名無実とし、極東の平和に障害となるから、その領有を放棄すべしと勧告してきた。(小学館『日本大百科全書(ニッポニカ)』より)

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04月14日(月)
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