ID:1488
頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■SLと笠谷
ぼくが直方に行ったのは、1972年2月11日のことだった。
ちょうどその日、札幌オリンピックでスキー90m級ジャンプが行われていた。
その5日前に、あの「笠谷、金野、青地」が70m級ジャンプで金銀銅を独占したのだ。
90m級も、笠谷に金の期待がかかる。
1回目は成功ジャンプだった。
しかし、2回目のジャンプで、風による失速。
結局、メダルには至らなかった。

さて、その日、直方に何をしに行ったのかといえば、友人たちと直方駅にある機関庫にSLを見に行ったのだ。
冒頭の、札幌オリンピックの模様は、ラジオで聴いていた。
機関庫からSLが走り出すところを撮るために、場所を移動していた時だった。

当時、SLブームの真っ盛りだった。
全国のSLが次々と廃止になる中、その雄姿を惜しむ人たちが、カメラを持ってSLに殺到した。
だが、ぼくはSLには興味がなかった。
直方に行ったのも、別にSLが見たかったわけではなく、ただのつき合いだった。
その日のぼく関心事は、何といっても笠谷のジャンプだったのだ。

さて、SLのことだが、最初にその言葉を聞いた時、何のことかわからなかった。
「SLちゃ何か?」
「蒸気機関車のことたい」
「なーんか、汽車のことか」
SLなどと言うので、何か特別なものと思っていた。
小学生の頃、毎日学校の行き帰りに見ていた汽車に、何で友人たちが「デゴイチ」だの「Cのチョンチョン」だのわけのわからないことを言って騒いでいるのか、ぼくには理解できなかった。

当時ぼくが持っていたSLのイメージというのは、『薄汚れたおっさん』である。
だからSLブームの時も、「わざわざ『薄汚れたおっさん』なんか、撮りに行かんでもいいやんか」と思っていた。
「どうせ写真も撮らないから、カメラなんか必要ない」
そう思って、直方行きには、カメラの代わりにラジオを持って行った。

「お、次は笠谷」というぼくの声にも、SLファンの友人たちは反応しない。
しきりに地図を片手にポイントを探している。
(笠谷のジャーンプッ!)
「飛んだ!」
友人たちは「この天気だから、あまりいい写真が撮れないかもしれん」などと言っている。
(ああ、風が…。距離が伸びない!)
「あーあ、だめかぁ…」
「しんた、何がだめなんか」
「笠谷」
「笠谷? 優勝したやないか」
「それはこの間の話。今日は90m級」
「ふーん」
ぼくがSLなんかどうでもいいように、彼らは笠谷なんかどうでもよかったのだ。

札幌オリンピックが終わってから、ぼくの笠谷熱は冷めていった。
それから少し後に、友人たちのSL熱も冷めていったようだ。
どちらも『にわかファン』だったのだろう。
03月23日(日)
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