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頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■般若心経
「ふと我に戻った時、すべてのことがどうでもいいことだということがわかった。
意味があると思われることは、実はどうでもいいことである。
それなのに、人はどうでもいいことに意味を見つけようとする。
ところが、突き詰めれば突き詰めるだけ、わけがわからなくなって、結局は何も出てこない。
どうでもいいことだから出てこないのだ。
つまり、
『気にするな。気にするな。何も気にするな。気にしないということさえ気にするな。そうすれば心は乱れない』
ということですたい。」(『般若心経』しろげしんた訳)

漢文で書かれているから、何かご大層なものと勘違いしてしまうが、実はこのお経はこういうことを言っているのだ。

ぼくが初めて般若心経に触れたのは、高校3年の時だった。
ぼくたちの高校では、放課後のクラブ活動の他に、全員参加のクラブ活動というものがあった。
水曜日の6時間目をその時間に当てていた。
どんなクラブがあったのかは忘れたが、実に多彩な内容だったのを覚えている。
なぜ多彩な内容になったのかと言えば、先生たちが好き勝手に自分の趣味の教室を開いたからだ。
要は先生たちの道楽に生徒が付き合わされていたというわけだ。

その中に、「こんなクラブ有りか」というクラブがあった。
『仏教クラブ』である。
仏教好きの先生が開いていたクラブで、岩波文庫の『般若心経』という本をテキストにして、先生が講釈をたれるクラブだった。
内容が内容だけに、参加者はそれほど多くなかった。
一度そのクラブに属している人に、そのテキストを見せてもらったことがある。
初めて見る『般若心経』だった。

ある日、本屋で『般若心経入門』なる本を見つけ、何の気なしにページをめくっていくと、いろいろといいことが書いてあった。
当時ぼくは、『人生の一冊の本』というのを探していた。
本を読みながら「もしかしてこの本がそうなのかも」と思い、買って帰った。
その後、ことあるたびにこの本を開いていた。

生物の時間に、この本を読んでいるのを先生に見つかったことがある。
しかし、本のタイトルを見て、「そうやなあ。人生こういうものも必要やろ」と言って、お咎めを受けなかった。
これもお経の功徳であろう。

真剣に『般若心経』に取り組んだのは、30代になってからだった。
この頃ぼくは禅に凝っていた。
『悟り』なるものを開いてやろうじゃないか、と思っていたのだ。
『悟り』への一助になればと思い、『般若心経』の勉強も始めた。
まず高校時代に買った本を広げてみたのだが、その時初めてその本が道徳的なことに重点を置き、教義に関してはあまり触れてないことに気がついた。
そこで、『般若心経』に関する本を本屋で買い漁り、読みまくった。
また、心経本文を読んで思索するようなこともやっていた。
「『空』とは何? 『空』『空』『空』・・・」
自分では気がつかなかったが、けっこう深くハマっていたようだ。
ある時、街を歩いていると、知らない人から「あなた、何か哲学をやっているでしょ?」と声をかけられたことがある。
別に哲学などやっているとは思ってなかったので、素直に「いいえ、何もやっていませんけど」と答えると、「そんなことはない。目を見ればわかるんよ」と言われた。
また、取引先の人からも同じようなことを言われたこともある。

そこまでやって、何か得るものはあったのか。
何もなかった。
心は乱れるは、目は悪くなるはで、逆にさんざんな目にあってしまった。
「このままだとおかしくなってしまう」と思ったぼくは、禅から離れ、そういう書物から遠ざかった。
それからしばらくしてから、心の乱れはなくなった。

冒頭の訳は、その時の心境である。
つまり、突き詰めれば突き詰めるだけわけがわからなくなって、こういう訳になったというわけだ。
03月10日(月)
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