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頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■出張の思い出 その4
その会社に入社して10年近くがたっていた。
その当時、ぼくはCDやLDなどのソフトの担当をやっていたのだが、その関係で、毎月一回、広島に日帰りで出張に行っていた。
ソフト担当者の会議である。
会議といっても数字の詰めなどといったハードなものではなく、主に次月の強力新譜の確認や、それを売るための販促計画などを練っていた。
しかし、月一回だけの出張とはいえ、回を重ねるごとに、ひと月がその出張の日を中心に回っているように感じてきだし、嫌気がさしていた。
さらに日帰りというのが、嫌気に拍車をかけた。
新幹線でたったの1時間の距離、それも座っているだけじゃないか、と思われるかもしれない。
しかし、体は小倉から広島まで約200キロ、往復で約400キロの距離を移動しているのだ。
ただ座っているだけとはいえ、確実に負荷はかかっている。
日帰りだと、この負荷が、翌日の仕事にモロに響くのだ。

そういった時に、大阪出張の話が出た。
あるメーカーが、大阪で勉強会をやるので来てくれというのだ。
メーカーの勉強会というのは、勉強会ではない。
接待旅行である。
しかも、一泊ときている。
広島出張の時は、上記の理由から「行けるかどうかわかりません」などと気のない返事をしていたのだが、この話には飛びついた。
とにかく一泊というのがいい。
また大阪にはそれまで三度しか行ったことがなかった。
最初は小学3年生の時だった。
この時は京都を主にまわったため、大阪に着いたのは夜で、梅田駅でうろついただけだった。
二度目は中学の修学旅行だった。
しかし、この時も大阪はバスで流しただけだった。
三度目は東京時代。
帰省中に京都に立ち寄った。
一人で京都の街をぶらぶらしていたら、腹が減ってきた。
せっかくだから、食い倒れの街に行ってみようじゃないかと思い、さっそく電車で大阪に向かった。
ところが大阪に着いたはいいが、地理がわからない。
仕方がないので、大阪駅周辺で何か食べることにした。
結局食い倒れの街大阪でぼくが食べたのは、吉野家の牛丼だった。

ということで、大阪出張は、ぼくの生涯4度目の大阪探検になった。
出張の前の日のことだった。
ぼくは布団の中で、それまでの大阪探検をいろいろと思い出していた。
ところがそれが災いしたのか、眠れなくなった。
気がつけば午前4時を回っていた。
午前6時半には家を出なければならない。
「まあ、大阪まで新幹線で寝ていればいいや」、と思ったとたんに眠りについてしまった。

目が覚めた。
時計を見た。
「ええっ?!」
8時半。
確実に遅刻である。
ぼくは先方に電話を入れ、遅れる旨を伝えた。
「何時頃になりそうですか?」
「昼までには何とか着くと思うのですが」
電話を切ってから、あわてて家を飛び出した。
通りに出てタクシーを拾おうとした。
ところがこんな時に限って、タクシーが1台も通らない。
結局タクシーを拾ったのは20分後だった。
そのおかげで、予定していた新幹線にも乗り遅れた。

新大阪に着いたのは12時を過ぎていた。
ところが、である。
先に書いたとおり、ぼくは大阪の地理がまるでわからない。
とにかく日本橋に来てくれということだったが、その日本橋に行くすべを知らない。
またもや先方に電話を入れ、道順を聞いた。
ようやく着いたのは、午後1時前だった。
そこに集まっていた人たちは、食事も終わりコーヒーなどを飲んでいた。
午後からの勉強会、ぼく一人だけ腹を空かしていた。
03月06日(木)
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