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頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■春一番
このサイトを始めてから、今日で三度目の春を迎えた。
ちょっと過去の日記を読み返していたのだが、今が一番最悪な日記を書いているようだ。
何が最悪かというと、最近の日記はどうも時間に流されてしまっているように思えてならないのだ。
とはいえ、昨年は昨年で時間に流されていたし、一昨年は「日記が書けない」と泣き言まで書いている。
そんなこともすっかり忘れて、春一番の日記を書く。

さて、三度も春を迎えているくせに、ぼくの日記には『春一番』というタイトルがない。
自作詩にはちゃんとある。

「顔を洗って、風が肌を潤すとき
 誰かがささやく、変わったね、あなたも
 うん、もう春だもの
 春一番、ほらもう冬を忘れてる

 ・・・・・

 春風がまわりの冬を追い払うとき
 誰かがささやく、どこに行くの、冬は
 あなたのいないところに
 春一番、ほらもう冬を忘れてる」
  (1975年作“春一番”より)

「暖かな日差しの中に
 風を乗せて、さあ歌おう
 そんな時もあったんだよって
 悔いにも似た想いも乗せて

 吹きすぎる風はいつもそう
 喜びや悲しみを運ぶ
 そんなふうに新しい風は
 新しい想い出を運ぶ

  春一番歌った空に、君はいない
  だけど、もしもそこに君がいたら
  ぼくはもう春をも飛ばしただろう
  これからに夢もなかっただろう

 忘れ去ったひとつの日に日に
 ぼくは風に乗って歌おう
 もう、その時なんてないんだけれど
 もう、その心なんてないんだけれど」
  (1979年作“春一番、歌った空に”)

「あまりに暑くて
 目が覚めた。
 先ほどの雷雨が
 今はやんでいる。
 風も収まったようだ。
 二月も末
 今日はストーブがいらない。
 さて、どうやって眠ろうかと
 悩んではいるのだが
 さて、何をやろうかと
 考えてもいる。」
  (1992年作“春一番”)

何と三つもあった。
これだけ春一番が好きなのに、春一番のいい思い出というものがない。
だから、思い出や現実を重視しているこの日記にそのタイトルがなかったのだともいえる。

毎年、春一番の声を聞くと、キャンディーズの歌ではないが、重いコートを脱いだような気分になる。
それだけ、冬というものにプレッシャーを感じているのだろう。

ところで、今年は春一番は吹いたのだろうか。
何年か前に、2月の早い時期に吹いたことがある。
その時は、今年は春が長いわいと喜んでいた。
しかし、その年の春一番の思い出はない。

「しんた君かね。生物のFだが、残念ながら君には追試を受けてもらうよ」
春一番の思い出といえば、やはり高校1年の時の追試につきる。
突然の電話だった。
その日に春一番が吹いた。
「範囲はどこですか?」と聞くと、「1年間習った全てです」と言う。
『来年も1年か』という思いが駆けめぐった。
それから1週間、『ミトコンドリア』や『デオキシリボ核酸』といった、わけのわからない言葉と格闘しなければならなかった。

さて、久しぶりに春一番を書いてみるか。

「春一番が飛んでくる。
 海を越えて飛んでくる。
 電気もないのに飛んでくる。
 米もないのに飛んでくる。

 ぼくらは黙って見てるだけ。
 笑いながら見てるだけ。
 先生たちも見てるだけ。
 笑いながら見てるだけ。」

どうしてもこちらに行ってしまう。
一触即発。
怖い世の中になったものだ。
03月01日(土)
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