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頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■自分というもの
「しんたさん、いくつなんですか?」
若い人から、時々聞かれる。
以前は「チャゲアスや大竹しのぶと同い年」と言っていたのだが、最近はもっぱら「蓮池さんと同い年」と言っている。
「えーっ! 見えませんねえ。だって、顔が若いもん」
これはお世辞である。
いくら顔が若くたって、頭だけ見れば、実際の歳以上に見えるはずだ。

それはさておき、このサイトのタイトルや、日記に書いてあることを見れば、「この人、かなり歳を気にしているなあ」と思うかもしれない。
が、今までぼくは歳を気にしたことが、まったくない。
だから、お世辞とはいえ、若く見られるのだと勝手に思っている。
ぼくは、歳というものを、自分という活動の経過時間だと思っている。
生まれてから、ぼくはずっと自分をしている。
その意識の中で、45年がすぎただけのことだ。
その時その時、その場その場に、いつも自分がいる。
この先も、ぼくはずっと自分をしていくだけである。
言い換えれば、歳というのは、ぼくにとって、ただの飾りにすぎないのだ。
あくまでも主体は自分、飾りに振り回されるのは、まっぴらである。

ぼくは10代の頃、20歳になったら、自分の中で何かが変わると思っていた。
また、20歳になった日に、何かが変わったと思っていた。
だけど、何も変わらなかった。
19歳最後の時間に、ぼくはトイレの中にいた。
20歳最初の時間も、ぼくはトイレの中にいた。
20歳の変化をトイレの中で期待していたのだが、20歳の時間になったからといって、トイレの中の状況は何一つ変わらなかった。
ただそこには、日常が綿々と続いているだけで、そこには何も変わらない自分がいた。
それは、30歳になっても、40歳になっても同じことだった。
やっていることはいつも同じ。
目に触れるものを見、耳に触れることを聞き、肌に触れるものを感じ、心に触れることを思っているだけだ。
そこには確固たる自分が存在している。
そう、自分はいつも自分なのである。

ぼくは昔から、ポパイの『おれは、おれで、だからおれなのさ』というセリフが好きである。
天上天下唯我独尊の姿勢が実にいい。
この人も、おそらく歳を気にしてはいないだろう。
だから、ああいう爺臭い顔をしていても、オリーブを愛していけるのだろう。
願わくば、この先もぼくは歳を気にしない、歳に振り回されない人間でいたいものである。
11月27日(水)
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