ID:1488
頑張る40代!plus
by しろげしんた
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■親友
「親友」

君と遊んでいたのは、いつの頃からだっただろうか。
時々けんかもしたけど、
ぼくらは仲のいい友だちだった。
小学校でのいたずらも、
廊下に立たされた時も、
いつもぼくらはいっしょだった。
奇妙なノリの中で
ぼくらはつき合っていた。
奇妙なノリの中で
ぼくらは目立っていた。

中学の頃だったろうか。
ぼくは君と話すことに、
なぜか心苦しさを覚えた。
おそらく君もそうだったのだろう。
その時から君とのつき合いを
空々しく感じていった。
いっしょに学校に行ったことも、
同じクラスになって、抱き合って喜んだことも、
おそらく『親友』という言葉がさせた
行為だったのだろう。

その後ぼくらは別々の道をたどった。
つき合いも以前ほどではなくなり、
『親友』という言葉の魔力も次第に失せていった。
ことあるごとに『親友』を強いる君に
嫌悪感を抱いていたぼくだったが、
いつしかそんな感情も薄らいでいった。
とりあえず今は、君との縁も消滅している。


上の詩の「君」は決してぼくの「親友」ではない。
彼がぼくを「親友」と呼んだのは、つき合いが長かったからである。
つき合いと言っても、小さい頃から近くに住んでいたので、いっしょに遊んでいただけの仲でしかない。
中学になり、高校になり、彼がぼくの力になってくれたとか、ぼくが彼の力になってあげたということは一度もなかった。
また、膝を交えて語り合ったこともない。
いっしょに遊ばなくなった彼は、ぼくにとっては「かつて友だちだった人」にすぎない。
ぼくにとってそれだけの存在の人間なのに、彼は、ぼくが昼寝をしている時、勝手に家に上がり込んできて、たたき起こしたり、誰も許可してないのに、勝手にぼくの本を持ち出したりした。
そのことを追求すると、「いいやん、親友なんやけ」と言う。
人の家に勝手に上がり込むことや、人の本を勝手に持ち出すことは、親友のすることではない。

ぼくは小中学校のつき合いより、高校時代のつき合いの方を大切にしている。
別に意識してそうしているのではなく、自ずと高校のつき合いのほうに行ってしまうのだ。
ぼくは、43年間同じ場所に住んでいるが、成人して以降は、この場所で小中学時代の友だちに会ったことがない。
近くに大型のショッピングセンターがあるので、そこで会ってもよさそうなものだが、それもない。
いったいあの頃、ここに住んでいた人たちは、どこに行ってしまったのだろう。
小中学校の同窓会のお誘いがあるわけでもない。
というより、そういうものの企画すらない。
「どうしてますか?」というような電話もない。
個人的に飲みに行くようなこともない。
幼なじみの、その後の動向も知らない。
知っているのは、死んだ奴のことだけである。
それも風の噂で、である。

現在ぼくは、先の「君」に限らず、小中学校時代の友だちだった人たちとは疎遠になっている。
しかし、これはぼくだけに限ったことではない。
人の話を聞くと、皆そういうものらしい。
やはり、誰もが異口同音に、小中学校時代よりも、高校時代のつき合いの方が大切だと言う。
高校の同窓会にはよく行くが、中学校の同窓会には行ったことがないと言う人が多い。
幼い頃いっしょに遊んだ友だちよりも、多感な時期に語り合った友だちのほうが、よりつき合いやすいのだろう。

今後、小中学校の同窓会があれば行ってみようとは思っている。
が、特に会いたい人などはいない。
11月20日(水)
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